pythonとイタリア式baccio

(2018-06-18)
(写真はあちこち古帳簿を押さえながらの古文書館での写真撮影風景。)

1.Pythonでのシステム構築

6月17日(日)、今日は日がなPythonプログラミング。昨日も一日中プログラミング。Pythonでの帳簿システム構築がある程度人に見て貰えるようになったので、6月6日に古文書館で館長さん、C嬢、スタッフの方達にプレゼンをしました。そして、その1週間後の13日、今度はC女史の家でN教授とF博士にご覧頂きました。

    以前はOOoCalcの表計算ソフトとそのマクロ言語によって、帳簿写真とそれに対応したタイプ起こし文(以下「Trascrizione」と呼びます)と仕訳を見られ、かつ、貸借対照表・損益計算書、その勘定分析、原価分析ができるものでした。ところが、Pythonによる新しいシステムは帳簿写真が見られるほかに、それに対応したMySQLデータベースに蓄えたTrascrizioneと仕訳をインターネット回線を通じて読み書きできます。したがって、今度は数人での共同作業が可能となる画期的システムです。画像写真はデンマークのプロバイダーに、データベースは米国New Jersy州のホスティング・サービスに置いていますので、pythonから見る帳簿写真はデーマークから、仕訳データはアメリカから取り寄せ、合体させて見ていることになります。そんな地球上を半周するような距離を感じさせず、サクサクと気持ちよく動きます。Trascrizioneを私達二人だけでなく、より強力な方たちの力も借りてやれるようにしよう、そしてあと72年間も入力作業をしなくても私たちのDatiniプロジェクトを実現できるようにしようということで、どこまでできるか皆目見当もつかなかったけど兎に角やってみようとOOoという清水の舞台からpythonという地面へ飛び降りたのが去年の12月5日。およそ半年で、まもなく実用になるところまで辿り着けたのはとても幸運でした。ほとんど素人の私にとって技術的に解決が難しい局面に直面することがあっても、pythonコミュニティは層が厚いので、ネット検索で手がかりをつかみ、考え続け、それぞれの問題ごとに眠りの浅い夜を一週間ほど過ごしながら、これまですべての難問を乗り越えることができました。ここまで来れば、後はこれまでの会計ソフト構築のロジックの蓄積が後押ししてくれますから、デッドロックに突き当たらずに済むのではないかと思います。

    そんなわけで、プレゼンはただのプレゼンでなく、私たちのプロジェクトへの勧誘を兼ねたものになります。実際、古文書館でのプレゼンではトスカーナ州の古文書館すべてを統括されているT女史が今年の10月に定年退職されるので、年金生活に入った暁には是非とお願いしました。また、C女史は既に年金生活入りされていますので、一緒に入力作業ができることをとても楽しみにしていますとお願いしました。T女史も、C女史も14世紀のDatini手書文書をバンバン読め、それぞれ沢山の著書、編書がある方ですので、私達の8時間分の仕事を女史ならば1時間でこなしてしまうでしょう。お二人とも、これまで、私達の仕事にエールを送ってきてくれていましたので、嫌だともいえず、むしろ乗り気な手ごたえを感じました。あと5人強力な共同作業者を募り、私達の目の黒いうちに何とかDatini帳簿をくまなく閲覧できるシステムの完成にもっていくつもりです。その大きなステップを踏み出せたような気がします。古文書館のC嬢は25年後、そしてV嬢は30年後に私達のプロジェクトを引き継ぎ発展させてくれるでしょう。C嬢はプレゼンの後、私達それぞれにイタリア式のbaccioをしてくれました。


(写真はChiaraとCarlaにbaccioの実演をしてもらったところ。今は右、左、そしてもう一度右と3回するのがはやりだとか。)

2.イタリア式baccio

Pratoのチェントロ(旧市街)を歩けば(Pratoだけではないでしょうが)、あちこちでイタリア式baccioに出会います。皆、チェントロをよく散歩しますが、そのお目当てのひとつが、知り合いに会い、baccioをし、話をすることではないかと思います。baccioとは言いながら、挨拶のかたちですから、唇と唇を合わせることはしません(これは恋人同士、夫婦だけ!)。でも、相手の左頬、右頬に唇の端をつけ、若干接吻音も出します。 これは親しい相手同士、女性と女性だけでなく、女性と男性、男性と男性でもbaccioします。どうも、この関係に一旦なると、baccioする状況なのにしないと気まずい感じがあります。大学の先生と学生もbaccioします。N教授の奥様もフィレンツェ大学の教授ですが、古文書館で授業をすることがあります。そんなとき、この光景がよく見られます。学生を大事にしている感じで、とてもいい雰囲気です。

    私達もこちらに来て4年半。道で行きあってbaccioする間柄にある人たちが何人もできました。私達は日本人でbaccioに不慣れですから、イタリアの方としても、本当はbaccioしたいんだけど、なかなかbaccioに踏み切れないという状況があるようです。でも、あの人がbaccioしているなら、私もという感じからか、去年あたりからbaccioがぐんと増えてきたような気がします。まず、私達の守護神みたいな家族、Cristina, Carlo, Zeno。次にDatini博物館のLida。画家のGustavo。いろいろな意味での先生Mario、その奥さんCarla。Datini財団のSila、Laura。音楽学校Verdiのフルートの先生、Silvia。C(Cavaciocchi)女史、F(Francesco)博士、N(Nigro)教授。状況によってはC(Chiara)嬢。でも、不思議と頻繁に会っていても、金銭関係がある総菜屋の人、銀行、会計士の人とはtuで呼び合う関係であってもbaccioしません。街であったらbaccioできるよう態勢を整えておく必要がありそうです。下を見て歩いていてはいけませんね。そうすれば、遠くも見ようとしますから、目の疲れもとれます。これだから、生まれ育った街は離れがたいのですね。

3.今日のお買い物

このところ同じようなものばかり買っているなとお思いでしょうが、値段が違っています。パンのデビューは初めてですね。全粒粉の天然酵母パン、今日のは530グラムあって、1.5ユーロ。サクランボ(ciliegia、チリエッジャと読みます)は1kgで3.9ユーロ。オレンジが0.99ユーロ/kg。ネクタリンと黄桃も0.99ユーロ/kg。その他野菜も買って、7.5ユーロ。扁平型の白桃サトゥルノは別のお店で買って、1kg1.5ユーロ。随分値段が安くなり、そしておいしくなっています。

前回の記事のモデナのciliegiaの引き売りは6月10日にPratoに来ました。二通りのciliegiaがあり、赤黒い方はとても甘みがあり、また、日本のサクランボのような色をしたciliegiaは甘みの中に酸味が混じり果肉に張りがあってこれもとてもおいしい。特別措置でIVA(付加価値税)が免除されており、その分安くなっているはずですが、7ユーロ/kgでした。年に一度はこの贅沢をしましょう。でも、今はもう、旬ですのでメルカートのciliegiaで十分おいしく、こちらで満足です。毎日二人でおやつに食べて、5回分くらいかな。


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今日のお買い物(春から夏へ)

(2018-05-22)

今日は月曜日。週1回のメルカートの日です。Prato Porta al Serraglio駅の北側、歩いて家から20分弱のところ、普段は広い駐車場をその日は駐車禁止にして、引き売りならぬ引きトラックの横腹を開いてその上にテントを懸ける形で、いろいろなお店が並びます。
 私たちが買うものは、ほぼ決まっていて、野菜、果物、乾燥トマト。新鮮で値段が安いので、月曜日はここに来て買います。新鮮だと日持ちが断然違います。以前はインテグラーレ(全粒粉)の天然酵母パンを買っていましたが、家の近くにおいしいパン屋さんができて、そこでやはりインテグラーレのパンを買うようになりました。パンは日が経つと固くなるため、週に一度沢山買うより2,3度に分けて買うほうがよく、新しいお店ができて重宝しています。

 さて、今日買ったものは、ひとつのお店でアスパラガスとキウイ、別のお店でセロリ、タロッコというオレンジ、黄桃、ネクタリンです。お店によって得意不得意があるようなので、ひとつのお店ですべて買うということはありません。以下のユーロ価格の円換算額は、最近のユーロ・円の為替レート131円前後を参考にしてください。

 アスパラガスは500gで2ユーロ、キウイは約1kgで1.5ユーロ。別のお店で買ったものは全部で7ユーロ。よく内訳は分からないいのですが、たぶんセロリが2ユーロ、タロッコが1ユーロ、黄桃とネクタリンで4ユーロ。「たぶん」というのは、セロリとタロッコはkgあたり1ユーロ、黄桃とネクタリンはkgあたり1.5ユーロですが、7ユーロと言われてその金額を払うのですが、それぞれ、どれだけの重さがあったか分からないので、値段は個々には分かりません。外国では値切るのが当たり前なんて思っていましたが、ここメルカートでは値切る人はほとんど見かけません。 

 アスパラガスはただゆでて肉料理などの添え物として食べています。4月頃から総菜屋さんでよく「zuppa di primavera」(春のスープ)というのが店先に並びましたが、これは、アスパラガスがたっぷり入ったスープで、とてもおいしかった。セロリはワイン酢に漬けて食べていますが、そのワイン酢は瓶詰の小粒玉ねぎのワイン漬を食べ終わってから、そこに漬けるので、やはりこれもワイン酢漬けになるというわけです。

 先週はイチゴとブラックチェリーを買いました。イチゴは先週が旬だったかもしれません。桃とネクタリンは先週あたりから出てきました。これからどんどんおいしく、そして安くなります。ブラックチェリーも先週あたりから。これはkg5.9でした。今日はもう少し安くなっていたと思いますが、はっきり覚えていません。ブラック・チェリーはアペニン山脈を越えてボローニャの西30kmあたり、モデナが有名な産地です。最盛期にはモデナからの直売店がPratoにもやってきます。これは少し高いけど、粒ぞろいでとてもおいしいので、今から心待ちにしています。モデナといえばアチェット・バルサミコ(酢)。ほとんどのバルサミコ酢にはモデナ産と書いてあります。これは熟成期間24か月以上で樽を変えながら作りますから、結構いい値段です。そのせいか、容器は趣向をこらしたガラス瓶でとても重いので、残念ながら日本には持って帰れません。ペットボトルに移し替えて持って帰るのもどうかな。家内はバナナを買ってくると、これにバルサミコをかけて食べています。

 タロッコは中がブルーべりのように赤黒く、酸味と甘みがとけあった素晴らしいオレンジです。12月頃からずっと食べていますが、いまだにおいしい。今年はおいしく食べられる期間が長いように思います。多分シチリアから来るのだと思いますが、南北に長いイタリアは果物がおいしく安く、その点はとてもいいところです。

 家のベランダからはツバメが忙しく飛んでいるのが見えます。朝は低いところをすごいスピードで通り抜けていき、昼間は空高く飛んでいます。時間によって飛ぶところが違うのは虫の居場所が違うからでしょうか?目で追いかけていると目が休まります。


Cavalciotto a Santa Lucia分水施設の見学散歩

(2018-04-22)
4月21日(土)、
友達のMarioに誘われ、Pratoの街の北側に位置するCavalciotto(分水施設)を見学に行きました。ビセンツィオ川から水を引き込み、人の手によって掘られた総延長50kmのgora(堰)をゆるやかに流下させ、堰沿いに設置されたmulino(水車)の動力として、また灌漑用水として利用され、Pratoにとってなくてはならないものになりました。 48ヶ所のmulinoは蒸気機関が発明されるより600年も前の時代には貴重なエネルギー源だったことでしょう。この日はCavalciottoと用水の見学会をPratoの保存会の方たちが開催し、60名位の老若男女と子供たちが集まり、大変盛況でした。Pratoには週末のひとときを家族でこんなふうに過ごすカルチャーがあります。

1.Santa Luciaの位置

サンタルチア教会はPratoのチェントロから約5km北へ行ったところにあり、その周辺の地域がサンタルチアと呼ばれます。地図(上が北)右上から左下方向にビセンツィオ川が流れ、赤丸で囲んだ流れのくびれたように見えるあたりにCavalciotto分水施設があります。

2.Gora(堰)とmulinoのはたらき

ゴーラはCavalciottoの南西方向に広がる標高差50mの殆ど平らな土地を何本かの用水に分かれながらゆっくりとうるおし、一部Pratoの旧市街も通過しながら南下して、Pratoの南ombrone川に合流します(この川とBisenzio川はFirenzeから流れてくるArno川に合流してPisaでTirenia海に注ぎます)。mulinoは穀物を挽くための石臼を回転させるために役立ちことはもちろんですが、Pratoではとりわけ12世紀初めからgualchiera(毛織物製造の重要な工程のひとつである縮絨)のために使われました。gualchieraはwalkと関係があるようで、羊毛を織った後、密度の濃い織物にするため、はじめ足で踏んで目を詰める作業をしていたところ、mulinoの動力を利用して織物をぐっと踏みしめるような動きをさせる機械を生み出しました。これにより生産性があがり、13世紀にはPrato産の毛織物は高い評価を得る元となり、当時人口がはるかに大きかったFirenzeもPratoのこの産業を頼りにしていたほどです。しかし、当時の経済圏は今で言えば地産地消の範囲内に納まるもので、この限界を打ち破りPratoの羊毛産業がさらなる飛躍をするためには西欧・北アフリカ・地中海圏すべてを視野に収め、かつ、資金力を持った商人の登場を待たなければなりませんでした。

1383年、Datiniは15歳から47歳まで過ごしたAvignoneから生まれ故郷のPratoに戻ります(ちなみに法王がAvignone捕囚からローマに戻ったのは1377年、シスマ(教会の大分裂)は1378年、そこから5年後の帰郷)。Datiniはそのような条件をこの上なく満たしていた商人で、彼の帰還後、Pratoはその技術的優位を発揮し、その販路を世界中(当時の主要な経済圏)に広げることになります。Datiniがどのような経過を経てPratoの羊毛産業に資金投下するまでの判断を下したかについてはいずれ書きたいと思いますが、まだ、私的に準備不十分。・・・という歴史の流れのなかで、その生産基盤を提供したCavalciotto、Gora、そしてmulinoの三点セットはPratoにとっていかに大切なものであったかが分かるような気がします。


左の写真は上流からの流れを受け止める壁。たびたび洪水を引き起こしたビセンツィオ川をどう制御するかについては、1630年ガリレオ・ガリレイも求められて現地視察をし意見を述べ、1631年に書かれた書簡も残っているそうです。

Cavalciottoの全景が分かるドローンの空撮動画がありました。
こちらをクリックしてご覧ください。




今日のお買い物

(2018-03-23)
3月1日、プラートで5年目にして始めての積雪がありました。さらさらの粉雪ですが、強風の吹き溜まりになるベランダはすぐにうまってしまいました。東京でも、ここでも、今年は寒いところを選んでいるような感じ。

雪のあとはほとんど毎日雨。3月はだいたい雨が多いけれど、今年は特に土砂降りになることが多かったようです。お彼岸を過ぎてやっと晴れの日が続くようになりましたが、またまた寒波と強風、春はまだおあずけです。

さて、今日のお買い物。歩いて20分ほどのコープへ行ってきました。私たちは週に一度はここでお買い物をします。その他はメルカートで週一回、別の二つのスーパーでそれぞれ10日に一度くらいずつ、あとは週2回の総菜屋さんとパン屋さん、これで食べ物の買い物はほとんどすべてです。それぞれのお店で買うものはほぼ決まってきました。

    コープの組合員になると特別に安くなるものがあるので、私はこちらに来てまもなく25ユーロの出資金を払って組合員になりました。これで終身組合員になれ、毎年の組合員費はありません。

    お買い物の中身はというと。。。(ここのところ1ユーロ130円位です)。。。まず、シチリア産のミニトマトは甘くて、お気に入り。350グラムで2.28ユーロ。人参は量り売りでキロ当たり1.2ユーロ。ほうれんそうの芽、1パック79セント。全粒粉の小麦フレーク、300グラム入りで1.25ユーロ。、コープ店内で焼いているバゲット30cmくらいで89セント。ずっしり重い黒パン、9枚切の500グラムで1.6ユーロ。

    牛乳1リットル入り94セントを2本。鶏手羽先と手羽元、キロ当たり3.2ユーロを618グラムで1.98ユーロ。豚肉キロ当たり9.78ユーロ(3ミリ位のしょうが焼き用程度の厚さ。これより薄いのは売っていない)を220グラムで2.14ユーロ。ヨーグルト500グラム70セント(これは日本のカスピ海ヨーグルトのようにねっとりしていて日持ちもよく、主人はおいしいと言っている)。キウィ、キロあたり2.78ユーロを7個袋につめたら、2.38ユーロ(日本のスーパーで見かけるものより、ひとまわり大きく、酸味と甘みがしっかりしている)。いわしひまわり油づけ、一缶120グラム(正味85グラム)が62セント。チーズ2種類、ヤギの熟成チーズ162グラム3.39ユーロ(これは主人用。私は匂いがきついので遠慮しています)、ピエモンテ産のフォンティーナというチーズ170グラムで2.53ユーロ(これは朝食用)。(その他、今日は買いませんでしたが、トスカーナのピエンツァ産・熟成ペコリーノ1キロあたり16.9ユーロがワインのお供で、主人は冷蔵庫に欠かさないようにしています)。

    これにイチゴ500グラム2.98ユーロが加わり、締めて25.87ユーロのお買い物でした。値段は品質の割りに東京より安いような気がします。特に、コープの品は品質が確かで安心して買えます。買い物の値段が張ったなと思うときは大体チーズをたくさん買ったときです。

    最近は量り売りの野菜、果物を入れる生分解性のビニール袋が有料になり、1セント加算されます。これも環境のため、いいことですね。



新しい査証でPratoに戻りました。

(2018-02-22)


2月16日、新しいVISTO(査証)を手に無事Pratoに戻りました。

1.日本からのフライト

2月15日23:50羽田発の便で日本を出発し、パリ経由で17時間後の16日朝9:00フィレンツェ空港に無事着きました。30時間前のオンラインチェックイン解禁と同時にチェックインしましたが、のっけからビジネスクラスは既に空きがなく、エコノミー席で帰ることになりました。空港へは息子夫婦に車で送って貰いましたが、羽田空港ターミナルビルまで行ってしまうと、アクセスがバス・タクシー・個人の乗用車などで恐ろしく混雑しているので、京急平和島駅で下ろして貰い、そこから電車で12分、空港にスムーズに滑り込みました。これはベストの方法でした。家内の腰は本調子からは程遠く心配でしたが、機内最後尾の連続席を確保しておいたので、1人が立っていれば家内は腰から背中を平らにして横になれます。そんなことを2回だけ繰り返して、12時間のフライトを消化できました。私も足を前の席の下まで伸ばす方法を見つけて1時間ほどまどろみ、その後は大分楽になりました。家内も同じくらい眠れてちゃんと自分の足で、フィレンツェへの乗り継ぎ口まで問題なく移動できました。でも、朝4:45分のドゴール空港は店が閉まっていて、人も少なく、搭乗口まで辿り着くのは楽ではありませんでした。

ドゴール空港からフィレンツェまでは1時間半くらいです。それなのにこの区間を間違って ビジネスクラスにアップグレードしてしまいました。特に横になれるわけでもないし、足元がすごく広いわけでもないのに、おかしいとは思いながら”ビジネス”の言葉の残り火にひかれてフラフラと変更してしまい、キャンセルも不可の状態になってしまったのです。でも、この席は一応”ビジネス”でした。朝食が単なるサンドウィッチとコーヒーでなく、チーズとハムと卵料理とサラダなどホテルのようなメニューなのです。そして、3つの席の真ん中は空いていて、その両側を二人だけで使う形になっています。何よりよかったのは席を移動して小窓の外の景色を眺められることでした。私たちのPratoへの帰路はこれまでずっと夕方から夜でした。ところが、今回初めて朝、それも明け方からの便です。飛び立ってしばらくすると、墨色のとばりの両端を大男が両腕をいっぱいに伸ばして引きちぎり、そこに出来たはるか遠くの何筋もの水平の隙間に、待ってましたとばかり、オレンジや水色や曙色の光が満ちてきます。この日がとりわけ特別というわけでもないのに、そう思わせるスペクタクル。見飽きることがありません。そのうち、飛行機の周りの雲が途切れて、遠くに山なみがうっすらと見えてきました。モンブラン(イタリア語ではモンテ・ビアンコ)、モンテ・ローザ、チェルビーノなどその主峰を構成しているのかもしれません。おそろしく静かに佇んでいます。神々がそこに住んでいるかのようです。

2.昼寝、水汲み、買物、昼食、昼寝、買物

スムーズなランディングの後、バスでPratoのアパートに10時に着きました。何はともあれ、昼寝です。1時間半ほど横になって、お爺さんは水汲みに。お婆さんは総菜屋へ昼食を調達に行きました。暫くぶりにPratoの街を歩いてみると、査証が取れたからこそ、今ここをこうして歩いていられるのだなぁ・・・と感慨深いものがありました。寒気の中を道行く人にも前より親しみを感じます。そして、昼食はキノコ入りのポレンタ。久しぶりの飾らない、でも念入りに味付けされたイタリア料理、とてもおいしく臓腑に浸みこみました。そして、また2時間ほど、昼寝。寝起きは、寝ている最中に叩き起こされたような感じでとても眠いです。でも、起きないと夜眠れませんから仕方なく起きます。そして、COOPへ買い物へ。牛乳、ヨーグルト、レタス、オレンジ、キウイ、チーズ(ペコリーノ2種、フォンティーナ、ゴルゴンゾーラ)、ウサギのレバーなど買いました。そして、また、休んで夕食、夜は早く寝ました。私たちは旅行者ではないので、早めに時差を解消するため、多めに寝た方がよさそうです。

3.滞在許可証申請Kitの作成と提出

VISTOでの入国後8日以内に滞在許可証の申請をしなければなりません。査証があるのに、その他何で滞在許可証が必要なんだと思いますが、査証は入国許可するもので、かつ、その滞在理由をその後の滞在許可証に与え続けるという意味があります。2013年12月にイタリアに来たときは滞在許可証申請には苦労しましたが、今回は日本に帰る前に、移民局での予約を済ませておきましたので、21日に申請書の作成をして貰えました。移民局で申請書の作成を担当してくれる方は、私たちにVisto per Residenza Elettiavaの取得を勧めてくれた方で、今回、そのVISTOを見せるととても喜んでくれました。いつも私たちには好意的に接してくれます。そして、申請書の書留発送のために郵便局へ。警察の滞在許可証申請受付は郵便局が担当しています。警察と郵便局、イタリア官僚組織の最悪の組み合わせと言ってもいいのではないでしょうか。今回はPratoの本局はやめて、もっと小さな郵便局で申請してみました。ちゃーんとやってくれるではありませんか。申請をすると、警察への出頭日が指定されます。5月3日、13時43分と13時46分。手数料は警察へ70.46ユーロ、郵便局へ31.5ユーロ、その他印紙税16ユーロの合計117.96ユーロです。その割にサービスが悪い。でも、一応大事な手続きが済みました。4年前と比べると大変な進歩です。

4.Tessera Sanitaria(健康保険証カード)の申請

イタリアは国民皆保険ですので、旅行者のような臨時滞在者でなければ、誰でも加入できます。でも、結構保険料が高い。前年収入の20,658.28ユーロまでが7.5%、20,658.28を超える部分については4%の保険料率が適用されます。介護保険料は徴収されません。去年11月から日本を発つまでの4ヶ月半、かなり、健康に不安を感じましたので、何はともあれ、加入することに決めました。申請はUSL(Unità Sanitaria Locale)という事務所で行ないます。前の日に保険料を計算して郵便局で納付して、納付書のコピーを作りました。その他、滞在許可証申請の税金納付済書と書留発送受理証も提出します。この事務所は一日で手続きが済むイタリアでは稀な場所です。ところが、今日は受付で変な女性に出くわしてしまいました。あなたたちには私たちは何もしてあげられませんというようなことをちょっと私たちから聞きかじった情報をもとに平気で言うのです。私たちは既に4年超ここにいて、このオフィスにも7,8回は来ています。それなのに、イタリア語が分からない外人扱いをして間違ったことを言っても恥じるところがありません。私は久しぶりに頭にきて、乏しいイタリア語の能力をフル活用してまくし立ててしまいました。でも、聞く耳を持たないのですね。自分でこうと思い込むと間違った方向にずんずん進んでしまうのです。私たちのパスポートと期限切れの滞在許可証をもってどこかに消えてしまいました。これはヤバい。パスポートを失くされて、そんなもの受け取ってませんと言われたら、渡した・受け取ってないという水掛け論のまずいことになる。私たちを旅行者と勘違いしたようだったので(そもそも、貴重な時間を使って旅行者が訪ねてくるほどUSLは素敵なところではありませんよ。発想からして狂ってる)、プラート市発行の身分証明書をもったれっきとしたプラート人なのだと分からせて欲しいと、受付の若い女性に頼みました。経験の浅い人たちのようでしたが、何とか、伝えて貰いました。しばらく後、窓口に案内され、話の分かる女性担当者がバンバン手続きを進めてくれました。それだけの書類を万全に用意して出かけたのですから当たり前ですけど。あの、女性は何だったんだろう。ただ、手続きの邪魔をしただけだとしか思えません。こんな場面にこれまで何度出くわしてきたでしょうか。あぁ、こんなことで随分時間をむだにしてきたなぁー。多少、言葉と手続きについて慣れるにしたがって、次第にこの辺の事情が分かるようになってきました。でも、Pratoに戻って、4営業日目までに、滞在許可証と健康保険証申請手続きまで、済んだのですから、4年2か月前と比べれば、大変な進歩だと自画自賛することにしましょう。健康保険カードは1,2週間で郵送されてきます。滞在許可証の指紋取りのための出頭は5月3日です。それまで、ダティーニの仕事に専念できます。
今回も達磨さん、ありがとう!!!


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