新しい査証を受け取りました

(2018-01-29)
予定通り日本に戻り、1月12日に新しいVISTO(査証)の請求をしました。

1.日本へのフライト

1月9日夕方Pratoを発ちパリ経由全行程15時間超の旅を経て、10日夕方7時半羽田に無事着きました。家内の腰の調子が上向かず、何日も前からこのフライトはとても気の重いものでした。エール・フランスは搭乗時間の30時間前からオンライン・チェックインが可能になります。そこで、チェックインの際に、もっと腰への負担の少ない席に代えられないものかと探してみたら、ありました!ビジネス・クラス!二人とも生まれて初めての席。着陸してしまえば同じことだと、これまでずっとエコノミーだったのに、今回は違うんだ。着陸してからイタリア大使館に歩いて行けなかったら帰国の意味がなくなってしまう、と思い切ってアップグレードしました。

この席は身長2mの人までフル・フラットに寝られるという楽ちん席でした。シート脇にテーブルがあり、その中に水平にテーブルを収納できるようになっていて、その見やすいところに座席形状をコントロールするボタンがあります。介護用自動ベッドのような席です。家内は隣でしたが、かなり起き上がらないと隣の席は見えません。離陸してシートベルト着用サインが消えるとすぐ、シートを平らにして横になっていました。家内はあまり大きくないので、随分広々した席に見えます。無事日本にたどり着けそうだと少し安心しました。食事のときだけシートを起こします。横になっている乗客が多いため、このクラスでは食事時間にも幅をもって対応してくれます。何と毎回テーブルクロスを掛けにきてくれます。食事と飲物もグレードが上です。そんな具合で、いつもは1時間まどろめば上出来なのに、今回は5時間位眠れました。これだけ眠れると旅も短く感じられます。家内もまあまあ眠れて飛行機から降りた後も腰の調子は悪くならず、元気でした。これでひとまず最初の関門をクリアできました。
空港へは家内の兄夫婦が車で迎えに来てくれました。ビジネスで帰る、と連絡したら、え?あのケチな妹が?それほど腰が悪いのか・・・ということで、一肌脱いでくれたのです。

2.イタリア大使館へ申請

Visto申請はすべて完全予約制です。ちなみに1月12日の予約は12月1日に行ったもので、その後どんどん予約が埋まっていってしまうのです。予約した日に出頭できないと改めて列の最後尾に並ぶようなことになるので、フライトの遅れは日本での滞在日数が限られている今回のような場合、致命的です。そこで遅れた場合に備えて1日余裕をおきましたので、順調なフライトの後体を休めるために使い、12日にイタリア大使館に申請に行きました。
予約は10時半。途中バスが渋滞にかかりのろのろ運転でしたが、何とか間に合いました。ところが、この日は窓口の担当者が普段は2人なのに1人だけ。しかも綿密に提出書類をチェックしているため、予約時間は大幅に過ぎ、私達に順番が回ってきたのは12時半頃。細かく書類をチェックしてくれ、書類がきちんとしていると褒めて頂けたので、何だか不安が少し減りました。後で書類の不備を指摘されると、簡単に1週間遅れてしまいますから、却ってよかったです。そして、交付は1月29日ですと、引換券をくれました。
     大使館への申請者のなかには他に日本人は見当たらず、中国、ロシア、インド(パキスタン?バングラデシュ?)国籍の人ばかりでしたので、なぜかなと思いましたが、彼らが日本滞在中にイタリアに旅行するには、ヴィザが必要で、それを滞在時の在東京イタリア大使館に申請するらしいです。日本人の場合にはヴィザなしでイタリア旅行ができるのとは違うのですね。結局、その日の受付の最後が私達でした。Pratoの警察でも、早くから並んでいるにもかかわらず、結局、最後になってしまうのと似ています。ここもイタリアでした。

3.いよいよ29日

12日以後、大使館からは書類の追加提出、不備補正など、何の連絡もありませんでしたので、大丈夫だったのでないかとうすうす思っていましたが、入学試験と同じで、結果を見るまでは不安は拭いきれません。今回は滞在許可証の延長手続きをしないで、新しいVISTOに賭けたような状態ですから、これが下りないと少なくとも6か月間はイタリアに戻れません。イタリアのアパートからもちょっと出かけるのと殆ど変わらない状態で出てきましたから、戻れないといろいろ具合の悪いことが起きるでしょう。手続的にもできることはすべてやり尽くしてきましたから、もう、途方に暮れるだけです。それで、やはり、心の底ではドキドキしながら大使館の門をくぐりました。
今日は窓口は二人で担当していて、流れがスムーズでした。部屋に入って5分もしないうちに、「引き換えの人はどうぞ」と声をかけてくれます。引換券とは、申請の日に預けたパスポートにVISTOを記載したものとの引換券です(そうです。ヴィザの申請中は身分証明書がなくなってしまうのです。ですから銀行での手続きも中断になってしまいます)。そして、すぐ新しいVISTOを交付してくれました。ちゃんとresidenza Elettivaと印字してあります。受取ってみると意外とあっけなく、これまでの7ヶ月の苦労が嘘みたいに思われてきます。でも、これで、Pratoに戻れるという安堵がぐんと込み上げてきました。私たちのイタリア生活第2弾がこれから始まります。これからはもっといろんな人と力を合わせてプロジェクトを進められるようにコミュニケーション力を高めていきたいと思います。体調を整えて再出発です。これからもよろしくお願いします。
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新年おめでとうございます。

(2018-01-02)

あけましておめでとうございます。今年一年がすべての人にとって明るい佳き一年になることを願います。東京は寒く、初雪があったとか。こちらは暖かく今朝の最低気温が8℃。本年もよろしくおねがいします。

まもなく、日本に戻り、新しいVISTO(査証)の請求をします。これが今年の最初の課題です。VISTOを実際に手にするまで今は何も手がつかないような心境です。こちらはNATALE(クリスマス。キリストの誕生を祝うという意味がこのイタリア語にはあって、CHRISTMASやNOELよりぴったりな感じの言葉)の後、1日だけお休み。今年は6日のEPIFANA(またはBEFANA。これについては2015年1月のブログをご覧下さい)が土曜日なので、明日から、平常通りの生活に戻ります。NATALEはCさんの家族に呼ばれご主人のCさん、Z君、それと画家のGさんと一緒に食事をしました。その翌日は日本びいきのMさんLさんに招ばれ、お茶とおしゃべりをしました。Mさんは4月から6月まで京都で語学学校へ通い日本語を勉強するとのことです。古文書館のC嬢(と言ってもSさんという方と結婚していますが)も、NATALEはどう過ごすのかと尋ねてくれたので、もし、何もなければ招んでくれたのかもしれません。Pratoではいろいろな人が気にかけていてくれます。

I .[健康の問題] 2017年は私達の健康にいくつか変調がありました。

I-1 まず、家内から

[腰痛] 11月19日、Pratoでオペラ・カルメンの上演があった日の朝、じわっと来る腰痛に見舞われました。オペラはいい公演だったのに途中で退席しました。その後、一進一退を繰り返しました。これは慢性のヘルニアから来るものではないかと思っています。それが治る間もなく、12月27日の朝、今度はビリッとくる腰痛に見舞われました。おそらく、これは炎症を伴っていると思うので、絶対安静にしていました。その甲斐あって、昨日は一緒に歩いて総菜屋に行けるところまで回復しました。腰痛は家内の長年の悩みですが、若い頃との違いは、3人の子を出産し育てた後、年齢が進み、日常のほんの何でもない所作が腰痛の引き金になる点です。今は、とにかく飛行機に乗って15時間のフライトをこなし、東京の家に無事たどり着き、12日にイタリア大使館に査証申請できることが念願です。2月にPratoに戻った後、近しい人の協力を得ながらいい方法を追及します。

[腹部痛] 腹部が掴まれるような感覚の苦痛が最近以前より長く続くようになったとのことです。腰痛で寝返りを避ける必要があるため、睡眠が短くまた浅くなっていることも影響しているかもしれません。この症状については家内が自分で以前調べたことがありながら原因不明で、また、本人でも的確に表現できないものです。ハッキリした原因が見つかれば早めに取り除く必要があるので、VISTO申請の後、早めに検査して貰います。
VISTOが下りれば、また変化が生まれるかもしれません。ストレスが取り除かれるといい方向に向かうかもしれないし。

I-2 次に私。

[めまい] 11月13日の朝、ベッドで上体を起こした瞬間、グラグラと眩暈を覚えました。その後、いつものように仰向けになったまま体操をはじめ、下半身を右に捻転させたとき、また眩暈がきました。その後、座るために上体を起こしたときにも3たびの眩暈が。いままでに体験したことのない大きさで、もし、起立した状態でこれが起きたら、床にどたっと昏倒するほどの感じです。こりゃイケナイと途中で体操をやめてベッドに戻りました。それまで、Life is too short to drink bad winesなどという言葉を銘にして、数週間、休肝日を置かずに飲み続けたことがいけなかったのかと思い、まず、ワインを断ちました。そうしたら10日程で眩暈が消えました。さらに、10日間断酒を続けた結果、再発はありません。血糖値はむしろ自然で血圧も正常の範囲です。今考えると、滞在許可証、査証、健康保険などの手続きをめぐるストレスが最大の要因だったのかなと思います。こちらにきた2013年12月のクリスマスのころ、それまで何の問題もなかった前歯の左2枚目の内側が突如穴をほじくったかのように、ポロっと欠け落ちたことを思い出しました。これも今から思えば、ストレスだったかと思います。物事がなかなか片付かない状態が継続するとストレスが形になって現れる体質なのかもしれません。

[首] 2番目は首を回すことが辛いこと。借金もないのに首が回らない。もう2年間続いていますが、考えて見ると僕は小さい頃から枕なしで寝ていました。でも、人間の骨格を横から観察すれば、枕なしだと、上体と頭を自然な湾曲から外れたところで繋げたまま長時間不自然な状態に置くことになります。それで、メモリー枕に思い切って変えました。寝られないかなと思いきや、寝られました。眩暈を感じると同時に枕を変えた後、今では大分よくなってきています。

[右ひざ] 3つめは右ひざの痛み。これも2年ほど続いています。歩行には問題がありませんが、ひざの屈伸運動をしようとすると、8回位は痛みが走ります。その後は慣れます。これは動かし続ければ、そのうち、自然治癒すると思います。いずれも、老化過程の現象とまじりあっているのかもしれません。上手に通り抜けて、安定した老年期を迎えたいものです。

私たちは破れ鍋に綴じ蓋。家内と二人がかりでないと、私たちの仕事は、写真撮影さえ前に進まないのです。12月22日にDATINIのPISA商館の帳簿59冊のうち52冊まで撮影を終え、自分のサイトにアップロードしたところまで来ました。その後は、ストップしていますので、残りの7冊はまた、こちらに戻ってからやり遂げましょう。新年早々、楽しくない話題で失礼しました。しかし、誰でも遅かれ早かれ直面すること、これも私たちの生活の重要なひとコマとして記録しておきたいと思います。

II.[システム構築の話] 次はガラッと話題を変えて、DATINIシステムの話。

II-1 Pythonにたどり着くまで。

前回のブログで書いた、Datiniシステムのシート構成とマクロ(自動実行コマンド)を根本的に組みなおす作業は終わり、組替えに伴う不具合も解決しました(11月29日)。そして、Datiniシステムの帳簿部分をインターネット上のリレーショナル・データベースMySQLに流し込むこともできました(12月4日、手作業で)。ひとつのDatini帳簿について数人が同時にDatini帳簿の入力作業を行うことの第一歩が踏み出せたかと思ったのも束の間。そうは問屋が卸さないのがシステム開発。その理由は?

DatiniシステムはOpenOfficeOrg.Calc(OOoCalc)の上で動き、そのプログラミングはOOoBasicで書いています。もし、OOoBasicでインターネット上のMySQLに接続し、そのデータを読み書きできれば、これまでの開発作業を生かせて最高です。そこで検討したことは、

1)[cURLを使う] 画像のダウンロードですでに実現したように、OOoBasicからcURLを呼出し、MySQLに接続する方法。しかし、画像のようにすでに存在するファイルをそのままダウンロードするのとは違い、まず、MySQLに接続して仕事をさせ、その作業結果を受け取る手順になりますから、その分、命令が複雑になるため、画像のように一行でプログラムが出来上がるというわけにはいかないのです。cURLは独自の発展を遂げつつあり、cURLだけでシステム構築ができる言語にまでなっています。しかし、私は、これまであるOOoBasic資産に足りないものを求めているだけで、すべてをcURLでやりたいわけではありません。で、この案は非現実的で没としました。

2)[OOoのUNOを使う]OpenOfficeOrg.はUNOという素晴らしい機能を持っているらしいのですが、JAVAで画像ダウンロードしようとした時と同様、UNOのマニュアルをああでもないこうでもないと読み漁りましたが、結局、私には難しすぎて今回もやはり断念しました。OpenOfficeOrg開発の中でこの部分は戦力が手薄でほんの数人でマニュアルまで書いているのが現実ではないかと思います。ですから、分かりづらい。この道は、明確な否定理由を把握できないまま、現実判断で、恥も顧みず引き返したというのが正直なところです。でも、2度目なので、早逃げで傷を浅く。

3)[PHPとcURLの合わせ技] PHPはインタラクティブなHP制作で定評のあるもので、バックグラウンドのデータベースと繋いで素晴らしい仕事をさせることができます。私も一時、PHPとPostgressで会社の経費精算システムを作ったことがありました。これはインターネット経由で、顧客会社の従業員が出張先から経費精算書に記入することができるという画期的(と私が考えていた)ものです。でも、今回は、PHPで会計システムまで作れませんから、この組み合わせ案からも早逃げしました。

4)[Pythonを使う] 会計プログラムを組むために、C++やJAVAを使おうなどという大それたことは私にはできません。私は会計の道具としてプログラムに手を染めているだけで、こちらからはできるだけ早く足を洗い、会計に専念したいという願いがつねにあります。しかし、協同作業のためのプラットフォームは絶対に作らなくてはいけません。Pythonというプログラミング言語にはOpenOfficeOrgのためのマクロ言語のひとつとして採用されていることから、以前から惹かれるものがありました。OOoCalcの土壌の上で、OOoBasicからOOoPythonに足を踏み入れてみようかという気持ちは前からあったのです。ちょっと調べてみただけでも、Pythonは途方もない人々が関わりPythonコミュニティを形成し、進化し続けているようです。そして、PySQLというライブラリを使って、PythonからMySQLなどのデータベースに接続しデータのやりとりができることが分かりました。次の節で書くようにサンプルプログラムをコピーして実行してみたところ、12月4日に作った私のデータベースに接続して12月12日にうまくデータを受け取ることができました。そこで、Pythonで行こうと決めました。

II-2[Pythonの第一歩]

Pythonを使うための道具を揃え、マニュアルを読みつつ、サンプルプログラムをいろいろ試しながら、自分のシステムに使えそうなものを蒐集していきます。インストールは慣れないとなかなかうまく行かない難しさがありました。

1) (12月6日) 最新版と思えるPython-3.6.3をダウンロード、インストール
2) (12月7日) より普及版らしいPython2.7シリーズの最新版に乗り換えるため、Python2.7.14.amd64.msiとPython-2.7.14.tgzのダウンロードとインストール。マニュアル読始め。
3) (12月7日) wxPython3.0-win64-3.0.2.0-py27.exeとwxPython-4.0.0b1-cp27-cp27m-win_amd64.whlのダウンロードとインストール。これはダイアログを作るために便利らしい。
4) (12月10日) PyMySQL-0.7.11.tar.gzとPyMySQL-0.7.11-py2.py3-none-any.whlをダウンロード・インストール。上に書いたようにMySQLとの接続に必要。
5) (12月12日) MySQLに接続、データ取得できた。
6) (12月13日) pycurl-7.43.0.1.tar.gzとpycurl-7.43.0.1.win32-py2.7.exeをダウンロード・インストール。
7) (12月17日) wxPythonでtextCtrl(仕訳番号のためのダイアログ上の入力セルのようなもの)を90行作成し、表示させることに成功。でも、スクロールバーを付けられない。
8) (12月20日) Pillow-4.3.0-cp27-cp27m-win_amd64.whlのダウンロードとインストール。画像処理のために使います。これを使って、内臓ディスクからの(インターネット経由でない)画像読込・表示が旨くできました。
9) (12月24日) wxPythonでtextCtrlに入力したデータの読込ができました。
10) (12月29日) wxPythonでタイトル行、画像、90行のtextCtrlの表示、垂直・水平ScrollBarの表示がやっとできました。
11) (12月31日) wxPythonでタイトル行にComboBoxを設け、そこにPyCurlを使って自分のインターネットサイトのディレクトリ情報、ファイル情報を取得して、ComboBoxに流し込むことができました。さらに、画像ファイルを取り込んで表示できれば、意図したプログラムの最初の半分ができあがりです。

OOoBasicからPythonに当面の重心を移して1ヶ月、こうして列挙してみると順調な出足のようですが、その時々でどちらへ進んだらいいのか迷いの連続です。画面周りのwxPythonの使い方では7割程労力を費やして、運よく思い描いていたように動くようになりましたが、それは結果であって、うまく行ったからよかったものの、出来なかったら、まだ、辛い暗中模索を続けなければいけないところでした。

(VISTOの取得は、また、達磨さんだより。片目だけ入れました。4年前より、ちょっと優しそうな達磨さん。お願いしますよ!)

2004年にExcel Visual BasicからOOoBasicに乗り替えたときより、この道を進んでいっていいのだろうかという不安はまだ大きく付きまとっています。でも、やればやるだけPythonには良さが見えてきますし、私の僅かなJAVA経験と比べてもプログラミング・スタイルの肌が合いますので、明るさもあります。今年前半でPythonでのシステム構築を終えることができれば上出来。そうしたら、家内と一緒にデータベースへの入力ができるようになります。実際に使いつつシステム改良を続け、安定したものにしながら、入力協力者との共同作業という私たちの目標に近づいて行こうと思います。でも、そのためには、人に呼びかけ、一緒にDatini帳簿を入力する気持ちになって貰わなければいけません。やはり、イタリア語そして英語の能力は避けて通れず、結局ここに戻ってきます。オッケー!なんでも必要なことはやりましょう!!

それにしても、イタリア全土の古文書館を統括するローマの官庁、早く古文書写真公開にゴー・サインを出してくれないかな。今はまだToscanaの古文書館を統括するT女史が交渉してくれている最中のようです。2018年は契約締結後2年目ですから、今年中に皆さんにいいお知らせができるといいなと思っています。
それでは、改めて、よいお年を!


滞在許可証が二つ揃いました、一時帰国は来年1月に延期

(2017-11-19)
(写真は北イタリア、マジョーレ湖畔のストレーザで。数々の思い出の舞台となったであろうとある別荘の廃墟越しに、湖と島が見える。)

前回のブログ更新からまた早くも50日経ってしまいました。この間にあったことを生活面と仕事面の二つに分けてみると、まず、生活面では、やっと家内にも滞在許可証が下り、日本からの妻方家族とイタリア国内での旅行ができ、イタリアの健康保険証についての手続き、日本から9月に送った小荷物についての手続きをしました。二つ目の仕事面では、Datiniシステムから帳簿画像の閲覧、計算機機能のみを取り出しこれに特化したプログラムを独立させたこと、そしてDatiniシステムについては、そのシート構成とマクロ(自動実行コマンド)構成を根本的に組みなおす作業をしているところです。この改編はDatiniシステムの帳簿部分をインターネット上のリレーショナル・データベースに移行するための下準備で、これができればひとつのDatini帳簿について数人がタイプ起こし作業を同時に行うことが可能になります。リレーショナル・データベースとしてはMySQLを利用することになるのではないかと想像しています。今回は生活面のなかの手続きに限って、前回の続編を完結したいと思います。

[家内への滞在許可証]

さて、家内の滞在許可証がその場で下りるかどうかの大事な日、10月2日。9月25日に私だけに許可証が下り、その一週間後のこの日、指紋照合の再トライです。この日は私たちは警察の建物の外で待つことはせずに、断固として建物に入っていきました。なぜなら、私たちが列に並ぶとしたら、それはStanza 5という指紋照合のための特別な部屋(Stanza)の前で、滞在許可証の交付窓口の門前ではないからです。この理由付けの基、片時も外で時間を消耗するまいと前進したのです。そして、いつも外の列をときどき観察に来る担当官に、Stanza 5に来るように言われてきたけど、そこはどこかと尋ねました。この人は許可証交付業務の監督官みたいな感じで、これまでの4年間ずっと感じ悪いなぁと思っていた人でした。でも、この日は、自分から先に立って、二階のその部屋に案内し、私たちの要件まで伝えてくれました。おっ!ちょっとおかしいぞ、どうかしたのかな?というのがこの日の第一印象。部屋には女性ばかり4人の担当官がいて、そのうちの一人に、今日は高精度の指紋読取装置が使えないから、こっちに来なさいと例の許可証交付窓口に案内されました。書類は約束通りSatanza5に移管してあったようです。それを持って、結局、前回と同じ指紋読取装置(小型スキャナーのようなもの)で再トライすることになりました。高精度でないと困るんだけどと言っても仕方ないまま、前回と同じ結果になるのではと、とても不安がつのってきました。そのうちいつも交付窓口で仕事をしている女性の一人が受け持つことになり、家内の前、窓口の向こう側に立ちました。そのとき、家内にニコッとしたのです。Big smileです。家内は気にしなかったようですが、私にはいい幸先に思われました。それから例の照合が始まりました。まず、右人差指、だめ、次中指、これもダメ、次薬指、やはりダメ、・・・と延々と繰り返していきます。指の腹側、そこから少しどちらかに転がして、手を左に変えてとか・・・。全部で300回くらいいろいろ試したでしょうか。そして、ついに”Ce l'ha fatta !(やったぁ!)”と小さく叫びました。そして、にっこりしたので、私は思わず窓口のガラスの下の隙間から手を差し伸べて感謝の握手をしました。最悪の事態、家内と別々に日本に帰らなければならないという事態が避けられた瞬間です。あのスマイルは、「今日は何としてもやってやるからね」という覚悟と自信を示すものだったかもしれません。それと、4年目になり、私たちが日本人であることを知っている人が増えてきたのかもしれません。これまでの警察へのいやな感情が氷解しました。少なくとも2017年についてはね。よかった、よかった。

(写真は、リフトから振り返りながら遠く下に見るマジョーレ湖。)

[滞在許可証の期限の余波。フライト予約の変更]

さて、滞在許可証が手に入ったものの、前回ちょっと触れた査証と滞在許可証の有効期間の重複の問題の存在が確定しました。11月に日本で査証申請、12月1日にイタリアに再入国の予定は実行できるのか。これを確かめるため、移民局で相談しようと、警察から帰ったその足で、局に行きました。

やはりここも予約が必要で、結局最短で10月26日の予約となってしまいました。帰国前に必要な査証取得のための手続があるとしたら、これも1週間かかる。しかも、約1ヶ月の日本滞在の前にはPratoで帰国前にやっておかなくてはならないことがありますから、これはもうどう考えても無理。結局、移民局での相談をするまでもなく、10月29日帰国の予定は断念しました。そして、新査証は2018年2月9日から有効なものとして申請しようと決めました。すると、イタリアへの再入国の日は査証交付日に余裕をもって2月15日とし、そこから逆算して、かつ、航空券が安くなる正月休みの後すぐ、1月9日(到着は10日)と決めました。フライトキャンセルによる一日遅れの可能性を加味すると、在日イタリア大使館への査証申請予約は1月12日ということになります。この線でフライト予約の変更手続が必要になりました。

フィレンツェ空港からの便はLufthansa航空では出発が14:35で風の影響を受けやすい時間なので、10月29日出発の航空券はAir Franceの20:25で予約してありました。Lufuthansaのエコノミーでは出発日変更ができなかったという記憶があったのに、Air Franceのエコノミーでは出発日変更ができ、望む出発日、離日日で予約できました。予約変更手数料は往復で二人分56,500円でしたので、まぁ仕方ないか、という金額でした。滞在許可証から派生して余分にコストがかかります。

[健康保険証]

イタリアでは国民と外国からの滞在者を対象としてSSN(Servizio Sanitaria Nazionale)という皆保険制度としての健康保険があり、その在住地域を管轄するASL(Azienda Sanitaria Locale)で手続きをします。私たちはPratoのASLに手続きに行きました。健康保険証の有効期間は外国人については完全に滞在許可証とリンクしています。但し、申請は滞在許可証申請書類を提出すれば、短期の保険証を交付してくれます。私たちの保険証は5月30日に期限が切れていたので、夏の帰国前6月5日に保険証の更新に行きました。すると、私たちの査証は就学目的なので、まず、所定の保険料を納めてその振込領収書を添えて、申請して下さいと言われました。まだ、滞在許可証が交付されてないし、間もなく日本に帰るので、9月になってからでもいいですかと聞くと、それで構わないという答えでした。そこで、Autocertificazione(自己申告)の話もありました。そこでこの自己申告をしてから、保険料を払うのかという推測の基、9月19日にASLに行ったところ、自己申告は保険証の交付を受けてからの手続きなので、それを済ませてから来てくださいということでした。どうも順番が堂々巡りでどうにも進まないなと思いながらいましたが、遅まきながら、滞在許可証がおりたので、11月8日に保険証の申請に行きました。保険料額が分からないので計算してくださいと頼んだところ、すごい高額になってしまいました。これを見て女性担当官は保険証は12月31日までしか有効でないのに、この保険料は高額だから、公的保険でなくプライベート保険に入った方がいいですよとアドバイスしてくれました。私たちのは就学滞在許可証だけど任意加入ということでいいのですねと確認すると、そうですと明確な答え。それでは、年を超えればすぐ日本に帰るのだからと年内は保険なしで行くことにしました。実際は郵便局の任意保険に入っていますが。イタリアの公的保険に加入するのは新査証がおりた後、イタリアに再入国後8日以内の滞在許可証申請に基づいてから申請しようということにしました。

ところが、自己申告の問題が残ってしまいました。私たちはイタリアの法令のすべてをきちんと遵守していたいのです。自己申告は私たちにとって義務なのかどうなのかが分からないのです。そこで、私たちの所得税申告をお願いしているCommercialista(税理士のような専門家)にメールで尋ねてみました。すると、ACLI(Associazione Cristiane di Lavoratori Italiani)という団体があって、そこですべて答えが得られるから、そこで聞いて下さいという返事です。ここも予約が必要なので、意を決して、ACLIのHP記載の番号に電話しました。すると、現在使われていませんという自動アナウンス。そこで、Commercialistaのメールに書いてあった番号に電話。違う番号だったけど、やはり使われてないというアナウンス。仕方なく、歩いてACLIに行きました。私たちの滞在許可証などの事情を話すと、他の人も呼んで聞いていましたが、結局私たちには分からないから、移民局に行って聞くのがいいと言われました。今日こそはこの問題に決着をつけるぞという勢いで、移民局に行きました。いつもとは違う入り口から入ると、何やらそれらしいポスターが貼ってあります。さて、どの部屋かなと見まわしていると、おじさんが現れて、要件は?これこれと話すと、それならこっちだよと、いつも滞在許可証の申請書類を用意してもらっている事務所に案内されてしまいました。すると今度はおばさんが出てきて要件は?これこれ。するとカウンターの向こうへ行っていろいろ話しています。そして、呼ばれて、どうのこうのと聞かれたり言うので、そういうことはすべて分かっていて、知りたいのは保険に加入していない私たちにAutocertificazioneの義務があるのかどうかということで、その点についてはどうなんですかと問い直すと、ASLに行くのがいいということになりました。なーんだ。結局誰も知らないんだ。どうせ、こんなことだろうと思っていたけど、どうしてこうなるのだろうと考えてしまいました。イタリア人は大体親切で人の役に立ちたいと考えています。でも、そのため、一歩踏み込んだ知識の獲得のための努力まではしないか、またしようとしても情報が得ずらい。それに人の話を最後まで聞かないうちに、自分の思い込みだけで、しゃべり始めるのです。今回初めて「Ascolti」(私の言うことを聞いて下さい)と言ってみました。ということで、自分でネット検索をして調べたところでは、このAutocertificazioneは救急車を呼んだ場合の割増料金などの賦課を所得レベルによって軽重をつけるための情報で、私たちのように未加入者の場合には、義務ではないということのようです。これも新査証での再入国後に手続きしましょう。

(写真はロープウエーの終点からリフトに乗り継ぎ行きついた山頂からの眺め。こんもり遠くに見えるのはスイスとの境のモンテローザか)

[旅行のことなど少々]

日本から9月13日に郵便局から発送した小荷物が到着したようです。配達時不在通知が投函してありました。郵便局のHPから追跡してみると11月7日にミラノの税関に到着したようです。思ったより早いなと、私はてっきり小荷物を受け取れるものと喜んで早速18日受け取りに行きました。しかし、受け取ったのは、通関のための情報が足りないから同封の書類に記入して返送するようにという手紙だけでした。がっかりしました。すぐ返信しましたが、通関にどれだけかかることか。実際に配達された場合、受け取らないでいると私の配達条件と料金では30日間で廃棄されることになっています。したがって、配達日が1月9日から18日の間になった場合は私たちは受け取れず、廃棄になってしまいます。ずっと、ここに居ないと具合が悪いことで予想外のことがいろいろあります。

最後にざっと旅行について。まず、ベネチア着、一日半ベネチア観光、プラートに移動して4日を過ごし、その間プラートでの買い物、ピサ観光、ポッジョ・ア・カイアーノの別荘見物などをしました。その後、北イタリアのマジョーレ湖畔のストレーザで2泊。ミラノ空港へはストレーザから比較的近いところからこんな行程デザインに。私は残念ながらベネチアからの電車の中で風邪をひき、プラートでは寝込んでいました。それでも、ストレーザへは皆に風邪をうつさないようにと注意しながらも同行しました。この季節、きのこの生ポルチーニが出回ります。ピッツァ、パスタ、いろいろな料理によく合います。特に美味しいのが簡素にしょうゆ味で、でもちょっと贅沢にポルチーニの和風ステーキ。このようにポルチーニを使ったいろいろな料理を堪能できるのがこの季節のいいところ。私以外は皆、事故も病気もなく旅程をこなせてよかった。

今日も長くなってしまいました。ではこの辺で。皆さん、ごきげんよう。


滞在許可証はまだ半分

(2017-09-28)
(写真は羽田から離陸後まもなくの窓から)

前回のブログ更新から既に3ヶ月超経ってしまいました。この間に日本に戻り、大半を山小屋で過ごして 家族、兄弟、友人、知人たちと再会することができました。山小屋では、屋根・ベランダの修繕、外壁のペンキ塗り、10年ぶりの床のワックスがけ、キツツキが庇下に開けた穴塞ぎ、家の周りに生える外来種のハンゴンソウの駆除、ツバメ万年青というかわいい亜高山植物を鹿から保護するための囲い作り・・・など、毎日何かしら肉体作業をやっていました。今夏で築後24年経過した山小屋は、家内と一緒に構想・設計し、調度を選び、維持修繕を重ねてきたものでもともと愛着がありますが、近年はイタリアから帰国したとき長期間落ち着いて過ごせる場所という意味合いが強くなったためか、かつてより大事な場所のように思えています。体が言うことを聞くうちは、手をかけて、維持したいと思います。そんなわけで本業のDatiniの方はあまり進みませんでした。

Pratoに戻ったのは9月14日、ミュンヘンでの通関の際、期限切れの滞在許可証がトラブルを引き起こすこともなく、また、フィレンツェ空港での心配された風も何とか到着までにはおさまって無事に帰還しました。フィレンツェ空港に着陸できない場合はピサ空港に下りる予定だという機内アナウンスがあって弱りましたが、そうならずラッキーでした。なにしろ朝起きてから24時間近く経過しているので、さらに延べ70-80km離れたピサからフィレンツェ空港までバスで送ってくれるのかもしれませんが、そこからさらにPratoに移動しなければならないので、かなりきつくなります。

さて、戻った翌日の15日、早速、滞在許可証を受取りに警察に行きました。私たちは日本に携帯を持ってきますが、SIMはそのままですので、電話はできません。にもかかわらず、8月1日に外国のPrato警察からSMSが入り、8月30日に引取りにくるようにと連絡がありました。携帯通信のメカニズムはどうもよく分からないところがあります。それはさておき、8月30日に行くのは不可能なのでPratoに戻り次第行くしかないと思っていたのです。その日は、多分、列ができていて、警察の外で待たされるんだろうなと予想し、早めに昼食を済ませて1時前に着きました。案の定、あまり列ができていません。すると警察のおっさんが出てきて、一人一人お決まりのチェック(郵便局での滞在許可証申請のための書留郵便控)をして、館内に誘導し始めました。私たちも当然入っていくと、SMSを見せろと言います。持ってきてないと答えると、それなら、警察への出頭日がいつなのかが分からないから入れないと言われました。そこで、一旦家に帰り携帯を持って再度警察へ。そして、今度は列を無視してさっきの担当者に持ってきたよと携帯のSMSを見せました。すると驚いたことに、なんだ、これは申請でなくてritiro(滞在許可証の受取)じゃないか?などとのたまうのです。この人全然分かってません。なぜなら、滞在許可証の申請については郵便局での申請時に出頭日が指定され、SMSは来ないからです。それで、自分では分からず、警察の別の女性担当官に尋ね、指定日後の滞在許可証の受取日は月曜日だけで、その14時半から16時半だと答えてきました。何だって?それなら今日再びここへ来なくてもよかったじゃん・・・最初からそう言ってくれればいいのに。

さて、月曜日(9月18日)、13時に警察に着き、また列100人以上。1時間ごとに10人位ずつしか入れないので、最初は列の前の方だったのに、東欧系、インド系、中国系の人間が段々前に割りこんでしまって、30番位になり、結局5時を過ぎてしまいました。この日は午後ずっと雨なのに、それでも皆帰らずに待っているので、待ち続けていると、5時20分頃、係官がでてきて、全員をどさっと入れてしまいました。そのときの入れ方が奇妙で、列の最後尾に並んでいた連中を先に入れ、家内と私は結局最後に入る形になりました。中に入ったと言ってもまだ25m位の廊下みたいなところで、窓口のある建物の入り口はその向こうにあるのです。結局入れるのなら、最初から入れればいいのに、雨にしょぼぬれて人を待たせるのを楽しんでいるのか、と言いたくなります。 さらに待つこと2時間、夜7時半過ぎにやっと私達の番に。そうしたら、郵便局での振込伝票を見せろというのです。今年の6月9日から規則が変わって受取には一人40ユーロの支払いが必要だというのです。警察のHPにもそんなこと書いてなかったし、SMSにも書いてない。15日に2回も来たときにも、そのことは言われず、その日に列を作っているときにも何も言われない。そして、6時間半も待たされて、やっと、今日は受け取れないことが分かる・・・ってどういうこと?でも、私達は日本人で少数民族なんです。滞在許可証を申請する多数民族はPratoでは中国人(中国の都会人でなく、多分南部の特定の地域の人)です。彼らはコミュニティを作り、弁護士を雇い、お互いしっかり連絡を取り合って、準備万端列に並ぶのです。そして、列に並んでいる最中も携帯で話しっぱなし。警察からすれば、殆どの申請者が知っているのだから、私達のように例外的な少数の人間を特別扱いできないということなのでしょう(そんなことに思い至ったのは昨日26日、Cさんの家で画家のGさんとディナーをご馳走になりながら話していてやっと合点がいきました)。いずれにしても、その翌月曜日にまた列を作る憂鬱を抱えながら帰宅しました。その前に80ユーロの支払を済ませてね。

(写真は友達のMarioがPratoのパン屋さんと共同開発したイチジクの葉のフォカッチャ。80%とうもろこし粉で、ひまわりの種がたくさん入っていて、おいしい。パン屋さんのちょうど前がPratoのドゥオーモの裏手にあり、その壁に当時の職人が手慰みに彫ったイチジクの葉の彫り物があり、そこからヒントを得て作ったお菓子。)

さて、その翌月曜の25日。どうせ、5時になれば在庫整理のようにどっと入場させるのだから遅くてもいいや、と午後4時頃出かけました。列は40人弱、意外と少ない。5時過ぎまで殆ど入れて貰えず、列は減りません。そして、例の在庫一掃入場。廊下みたいなところでの渋滞はなく、一気に建物に入れました。でも、なかなか処理が進みません。見ていると、該当の滞在許可証を見つけるのに手間取っているようです。そんなことは14時半前に整理しておくのが当たり前だろうと、しかも、40ユーロも取っていながら、と思うのですが、私の当りまえは警察では全然当たり前でないのです。何とか私達の番が来て、まず、家内。滞在許可証も見つかって、データの照合も済んで、最後に申請時に登録した指紋との照合。まず、右人差指、合致しないようです。次に右中指、やはり、駄目。家内は皮膚がデリケートで、日本の多湿な気候では問題ないのにここでは湿度が低いので、途端に指の皮膚が痛んでいくのです。15日にここまで到達できれば、まだ帰ったばかりで、いい状態だったのに、と悔やまれます。何度も他の指で照合を繰り返しても旨く行きません。そこで、私に交代。すんなり指紋照合も終わり、滞在許可証の交付を受けました。あー、やっと半分終わった・・・と思うのも束の間、見ると有効期限が2018年2月8日になっています。これは困った!難題を抱え込み、ガクッと腰が落ちるような気がしました。なぜ、難題なのか?

実は、私達は夏の帰国時に、現在の就学ヴィザをResidenza Elettivaヴィザ(以下では、短くREヴィザと呼びます)に変更するため、イタリア大使館で申請を試みました。提出書類について外務省でアポスティーユを取得し、それを大使館登録の宣誓翻訳士の方に翻訳依頼し、その翻訳士さんが大使館に出頭して宣誓供述書の認証を受けるというような書類も含まれています。なぜ、REヴィザに乗り換えるのか?それは就学ヴィザでは何年イタリアに居住しても、毎年1年限りの滞在許可証を申請し続けなければならないのに対し、REヴィザは6年経つと、更新不要の滞在許可証の申請ができるからです。更新不要の滞在許可証?もう、列に並ばなくてもいいの?そうです。これがなければ、イタリアはとってもいいところなんです。ただ、如何せん、この滞在許可証の申請と受取り、これには筆舌に尽くしがたい苦難が伴っています、特にここPratoでは。ですから、これさえ要らなくなれば、どれだけいいことか。ところが、REヴィザの有効期間と滞在許可証の有効期間に重複があってはならないということになっています。このため、7月19日にイタリア大使館でREヴィザを申請したとき、日本からの出国予定日(帰国のフライトの出発日)が9月14日だったので、REヴィザの開始日が9月14日になってしまい、これは申請中の滞在許可証が11月30日までなので、9月14日から11月30日までの重複期間が生じてしまいこれが問題となります。イタリアに戻った後、滞在許可証を受領して、それについて、どのように9月15日以後無効にするか分からなかったために、ヴィザ申請を取り下げたのです。そして、11月1日に改めて日本に戻り、12月1日以後に有効となるREヴィザの申請をしようと考え、飛行機の予約(出国日は12月2日)も済ませておいたのです。あー、それなのに、・・なのに!これでは、今度は12月1日から2月8日までの重複が生じてしまうではありませんか。私達の申請は11月30日までなのにどうしてこんな勝手なことが起きてしまうのか?もし、私達が研究招請状の期間を超える滞在許可証を申請したとしたら必ず却下されます。申請者に対して適用されるルールと警察に適用されるルールが違うとしか言いようがありません。まぁ、このことについては後で対処しましょう。

話は家内に戻ります。家内は窓口の内側に呼ばれ、そこで改めて指紋照合を繰り返しています。さんざん試みた後、結局、今回は断念ということになり、改めてまた翌月曜日に照合することになりました。但し、もっと精度のいい機械で。その日はもうその機械がある部屋も担当者も帰ってしまった後なのです。そして、やはり、不可となった場合は、ローマに滞在許可証を送り返し、指紋照合不可者用の滞在許可証を発行するらしい。なんとまだるっこい!そのまま渡せばいいじゃん。でも、それができないらしい。そうなると、受け取りは70日後位になってしまいそう、2015年にあった経験からすると。そうすると、受取りは12月半ば。参った。それでは、予約した飛行機に乗って出国できないことになります。で、私達の11月中にREヴィザに切り替える計画はあえなく、崩れてしまいそうです。後は神頼みのみ。

ざっと、こんな状況です。ややこしいですね。結局どうなるのでしょう。いつまで続くぬかるみぞ!


Zibaldone構想

(2017-06-19)
(写真は家から見えるCalvanaの丘。ジネストゥラが山頂付近を黄色に覆っています。これは染物用の釜の燃料として利用されていました。ということは、刈り取って里まで運んできて、売って、多少の収入を得ていた人がいたということになります。)

     4月10日に、待ち焦がれたDatini研究の必読書、Federigo Melis著、Aspetti della vita economica medievale.(Studi nell'archivio Datini di Prato)(経済面から見た中世生活の諸相(プラート国立古文書館での研究)、1962発行)という本が届きました。かなり古い本ですし、需要も多いので、あちこち古本屋を覗いてみても見かけることはなく、半分あきらめていました。でも、もしかしたらAmazonにあるかも知れないと思いついて検索したところ、偶然見つけ、すぐ注文して手に入れることができたのです。ちなみに価格は120ユーロ、今Amazonで売りに出ているのは220ユーロですから、随分価格にぶれがあります。 この本も大きくて重いので、日本に帰るとき、とても持ち運べません。そこで、とりあえず必要なところをスキャンしてPDFファイルにしてPCに保存しました。

    そんな準備を経て、第4部、簿記、の部分を読み始めたのが4月18日。それから毎朝5時から6時半までこの本を読んでいます。とは言いながら、本を読むというより辞書を引いていますと言った方が合ってます。前の日に読み進んだ箇所を読みかえすと必ず意味のはっきりしない言葉を再発見するので、辞書を引きなおします。そして、関連する単語を引くと、また、分からない単語や理解のあいまいな言葉が出てくるのでまたこれを引き、、、と繰り返してるとすぐ6時になってしまいます。私はイタリア語が大してできないのに、最初から伊伊辞典主体で勉強してきました。最初のうちは、どころか、つい最近まで、ひとつ分からない単語を引くとその数倍分からない単語に出会ってしまって、それを一つ一つ引いていると、どんどん分からない単語が増えていき、辞書に挟むしおりがどんどん増えて、しばらくすると、最初に引いた単語は何だったっけと思い出せなくなり、入り口も出口も分からない迷路で立ち往生してしまうのです。記憶力の減退は否定のしようもないものの、これは辛いし、悔しい、希望というものが失せてしまいそうになりますよ。
    でも、こちらに来て3年半、そんなことを繰り返して、最近は伊伊辞典を引いて、ようやくその引いた単語の箇所で6割くらい意味が分かるようになって来ました。それと最近は辞書を引く傾向が変わってきて、熟語というか単語の組み合わせに注意し、言葉をひとまとめで理解するようになってきたような自覚があってうれしいです。もちろん、聞き話す方は殆ど進歩がありませんが。会話はなかなか繰り返しが難しいので、こちらは、まだ当分駄目でしょう。

    そんなことを続けながら6月14日、よちよちと38頁読み進みました。AspettiはFederigo先生がDatini帳簿からどんな風に何を読み取ることができるかを、懇切丁寧に、そして情熱的に、細かい点にも注意を促しながら書いていて、とても勉強になります。さて、そこで出会ったことばが「zibaldone」です。zibaldoneを辞書で引くと、「(文章の)寄せ集め、雑録、雑記帳」と書いてあります。伊伊辞典では「無秩序にメモ、身辺のできごと、思いついたことなどを書き留めておくための本、ノート」と説明されています。私も大学入学後、日記帳は続かないので、折々に思いついたことを書き留めておく雑記帳をつけていました。それを思い浮かべてこの「zibaldone」という言葉にとても惹かれるものを感じました。そこで他にどんな意味があるのかについて知るために、インターネットでこの言葉を検索してみると、Giacomo Leopardo(1798年6月29日ー1837年6月14日)という人の「zibaldone」がリストアップされました。レオパルディは「十九世紀のイタリア最高の詩人、というよりペトラルカ以後の最高の抒情詩人」(脇功氏)といわれるものの、日本ではそれほど知られていないのではないでしょうか、私も知りませんでした。

    さて、この「zibaldone」をシステムとして独立させ、Datiniシステムからの別バージョンとして、経済史研究家の知的生産のための道具として雑記帳のように使えるシステムとして育てていこうと考え始めたのです。古文書館で古文書を読む人達のやっていることを観察していると、必ずメモをパソコンに入力し、そして大事なところを写真に撮ったりしています。そこから触発されました。

    まず、第一に画像については、私達は全部のDatini帳簿を撮影するつもりですから、Datini帳簿に関する限り、そして、プラート古文書館が私たちが撮影した帳簿画像を公開する限り、いずれ、この来訪者の撮影作業はすべて不要になるどころか、そもそも古文書館まで足を運ぶ必要がなくなります。この点については、現在のDatiniシステムと新たに構成するzibaldoneシステムとで基本的に変わるところはありません。しかし、Datiniシステムはピサ、ジェノヴァ、フィレンツェ、バルセロナなど8つある商館ごとに作成しますから、画像はその商館に属す帳簿画像だけ見られるようになっています。しかし、研究者は、おそらく各商館だけでなく、8つの商館すべてを対象として横断的に考察を進めるでしょうから、zibaldoneシステムでの画像表示は(商館ごとのLocalなものに対して)いわばGlobalな表示機能が求められるでしょう。この機能は新たに拡充する必要があります。

    第二に、メモについてはDatiniシステムの変形として、次のような方法が考えられます;
現在は帳簿画像を見ながらその左側の列に仕訳番号を入力します。そしてこの仕訳番号に対応して、手書きの仕訳をひとつひとつ漏れなくタイプ起こしして、ダイアログ(PC上にポップアップ表示する窓)を通じて、写真と対応できるようにしています。これに対しzibaldoneシステムでは、手書きの仕訳のタイプ起こしは私たちは行いませんし、他の誰も行いません。その代わり、ユーザーはテキスト入力箇所(仕訳の備考欄)を、各自、自分のメモ、要点、考察などを書き込むための雑記欄として使います。これは仕訳の備考欄とは異なった性格を与えられることになりますから、貸借のバランスという簿記の要請からは自由になります。但し、雑記欄は画像とリンクする必要がありますから、仕訳番号の付番作業は省けません。

    第三に、現在のDatiniシステムに備わっている仕訳の相互参照機能をzibaldoneシステムではどう扱えばいいかという問題があります。この相互参照機能は一対一(または一対多)の一組の仕訳を一覧表示するためのものですから、これらを関連付けて同時に見られることは重要です。経済史研究においても、仕訳を一組として見ることによって、その取引(経済事象)をより具体的に見ることが可能になりますから、zibaldoneシステムでは、この相互参照機能はやはり欠かせないものとして機能するでしょう。ただし、仕訳のバランスという制約から解放されているので、どんな他の仕訳(雑記欄)とも、思考上関連するものがあれば、すべて相互参照する方がより豊かな論拠を提供できるので、この相互参照機能は、商館の枠を超えて、より活用されることになるでしょう。

    第四に、現在のDatiniシステムがもっている貸借対照表、損益計算書作成機能はzibaldoneシステムではどう利用可能でしょうか?これについては、全く想像できません。バランスしない仕訳から集計値を作ったとき、結果として出てきた数字の意味は、各仕訳に与えた勘定コードと各仕訳に割り振った金額によって左右されるでしょう。しかし、貸借対照表、損益計算書の各勘定項目をひとつの論文の章節項目として再構成すれば、現在のDatiniシステムの勘定分析機能を使って、各目次に対応する仕訳(雑記欄)の一覧を表示させることができます。
(写真は我が家の家庭菜園のバジル。去年撒いた種の一部を今年撒いたので、危機感を抱いたせいか花を咲かせてしまいました。けなげだなぁ。)

    私たちの存命中に8つのDatini商館のすべてについて、Datiniシステムの仕訳備考欄ばかりでなく、金額欄、日付欄、勘定コード欄、為替レート欄等をすべて入力し、会計システムとして完結させることが到達し得ない目標であることははっきりしています。でも、それが、人類共有の貴重なDatini帳簿の唯一の活用策かと考えると、答えはNOです。また、長々と書いてしまったこのzibaldoneシステム。これはかなり有望な打開策ではないかと思います。私たちが他方で継続するテキスト起こし、これは私たちの心行くままの「研究=趣味・娯楽」という位置づけに変わるかもしれません。私たちの日々やることは同じとしても。

    明日はA博士がフィレンツェ大学で指導する学生の研究論文で私たちが作成した分析データを利用したいということで、打ち合わせがあります。これもPratoに来て初めての経験です。その場でzibaldone構想について、ご意見を伺おうと思っています。


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