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Pratoに戻りました(2018年9月)

(2018-09-29)
9月28日、日本で過ごした3ヶ月もあっという間に過ぎ、また、Pratoに戻ってきました。(左写真はシャルルドゴール空港のTerminal2F入口付近)

1.山小屋でしたこと(蟻の撃退作業、屋根塗装、ベランダ塗装)。

前回のブログで書いた蟻の撃退作業、結局1000個超の穴をあけ蟻キンチョールを吹込み、そしてステンレスネジで塞ぎました。ドームハウスは5つの5角形の上に5つの6角形が乗り、その天辺に1つの5角形が乗って半球を塞ぐ構造になっています。その5角形と6角形はそれぞれ5枚と6枚の3角形パネルで出来上がっています。すると、5×5+5×6+1×5=60枚の3角形パネルでドームハウスの骨格部が作られていることになります。床面から天辺までは6m位の高さがあり、2階のロフトの床面から脚立を立てると一番高いところに届きます。でも、ロフトは半分だけですので、天井というか壁というかその半分には手が届きません。それで約30枚の3角形パネルに蟻の嫌がる処置を施しました。2m弱ある3角形パネルの一辺に12個の穴をあけると2個の穴は他の辺と共通になるので34個の穴が必要です。すると、34×30=1020、確かにその位穴開け、注入、穴閉じをしたことになります。その結果は?齧る音はほとんど聞こえなくなりました。でも、もう蟻の繁殖期が終わったかもしれませんので、また、来年どうなっているかを観察してみないと結論は出せません。でも、上手く行っていたとすれば、今後さらに20年使い続けることができるかも知れません。そうなるといいのですが。
    その他、これまでと同じように屋根塗装。3角形パネルの7枚分に塗装しました。今年は雨が多く、お天気の機嫌を見ながらやろうとしましたが、最後はもう塗装の後雨が降ってもいいやととにかく塗り上げてしまいました。もうひとつ、ベランダの塗装。これもお天気の都合で、今年は十分塗れませんでした。そこで、プラスティックの波板を組み立てて、弱い部分を覆いました。ベランダの一部の板を取り外して冬を越させますので、そこに水が落ちるようにできます。これは初めての試みですが、来年来た時にどうなっているか。これも期待と不安をかきたてます。
年金生活では大きな出費に耐えにくいので、今のところ自分でメンテナンスしていますが、これも段々辛くなってくるんだろうなと思いながら、それでもなるべく年々楽になるような方法を考えながらやっています。でも、新しい難題がいろいろと起こってきているような気もします。

2.山小屋で家内がやっていたこと(TinyJPGでのファイル圧縮作業)

前回ちょっと書いたTinyJPGでの画像ファイル圧縮。家内が頑張って7月7日から8月30日まで毎日朝から夕方まで作業を続け、これまで撮影した約62000枚のダティーニ帳簿画像の圧縮をやり遂げました。これはなかなか大変なのです。というのはTinyJPGのサイトに一度にアップロードできる画像は20枚という制限があるためで、この20枚ずつの作業のサイクルが長くなく短くもなく中途半端に人手の関与を求めるからです。一度にどっさりアップロードしてほぉったらかしにしておき、しばらく経ったら圧縮されたファイルを一度にダウンロードして、途中は別のことをしているというわけにはいかないのです。大学時代からの友人がpythonのバージョン3.6を使ってこの作業を自動化するプログラムを作ってくれたのですが、私の使っているpython2.7と違っていたので使わせて頂きませんでした。バージョンの違いに悩まされて自分のDatiniシステム構築に専念できなくなることを避けたかったことと、TinyJPGの画像圧縮による劣化が元画像と比較して殆ど差がないほど素晴らしいクオリティだったことから、TinyJPGで通してしまいました。9月5日に実演を見せて貰いましたが、これまた素晴らしい出来で完成度も高くなっていたのですが、残念ながら作業が終わった後でした。ごめんねK君。

作業の結果はめざましく、圧縮前に198GBあったファイルが33.9GBまで小さくなりました。私たちはDatini帳簿をすべて撮影すると1000GBに達すると予想していたのですが、これが実に悩ましいかったのです。というのは画像のアップロード先のWebホスト契約の最大値が500GBのために、1000GBとなると二つのURL(インターネットの住所)に分けて帳簿画像をもつ必要があったのです。でも、これを元画像の17%の170GBに抑えられるとしたら、現在の契約容量で足りることになります。私たちの経済的負担も少なくて済みますし、技術的な問題も付け加わってきません。その他、画像のホストへのアップロード時間がとても短くて済むようになりました。以前は400枚の画像をアップするのに5時間半位かかていたのに、圧縮ファイルでは8分で済んでしまいます。アップロードをしているとき、インターネットで他の作業をすると遅くなるので、夜中にアップロードしたりしていましたが、その必要はなくなります。また、何よりもいいのは将来私たちのシステムを使う人にとってファイルが小さければそれだけ早く画像を見ることができますし、通信トラフィックが小さくて済むので通信料金も少なくて済みます。こんないいことづくめの作業をやり遂げた家内は偉い。そのご褒美は?トルコ産マグロの中トロの手巻き寿司がそれだったかな。

3.帰路(羽田からパリ、乗り継いでフィレンツェへ)

帰路なんて言葉を使ってしまいましたが、日本に3ヶ月、Pratoに9ヶ月という配分なのでこの方が自然な感じになりました。さて、9月25日。出発日の朝起きると航空会社から出発時間が2時間遅れるというメールが入っていました。さらに、この遅れによりパリでの乗り継ぎが間に合わないので、その日の20時50分パリ発だった便を翌日9月26日9時40分発の便に変更しましたので、チェックインして新しい搭乗券を受け取って下さいというメールが届きました。天気予報より早く雨がバシャバシャ降っているし、どうも、ついてないなという感じです。

空の便は遅れると、電車のようにすぐ次の便に乗れるわけではないので、一日の遅れになりがちです。2013年の7月、フィレンツェからの便が風で欠航、ボローニャにバスで移動して翌日出発。その9月今度はミュンヒェン空港からの乗継便の整備が遅れて、一旦搭乗した飛行機から降ろされて3時間程待たされて夜7時半にフィレンツェ着の筈が10時半に、荷物を受け取って帰宅すると夜中になってしまいました。2017年の6月のフィレンツェからの便も強風で欠航、翌日ボローニャから出発ということがありました。そこでルフトハンザ航空の便は風が吹きやすい時間帯なのでこれをエール・フランスに変えて夜遅くフィレンツェを出発する便に変えたのが今年の1月からでした。それなのに、エールフランスでも遅延に見舞われるとは!5年間で6回往復、したがって12回の便のうち4回で遅延や欠航があったというのは輝かしい???事故歴ですね。

パリ・シャルル・ドゴール(CDG)空港に着くのが21時半。そこから翌朝9時40分まで、空港で過ごしていたら、腰がイカレてしまいます。そこで、Air Franceに電話し(こういうときはこれがまたなかなか繋がらない)、他の便で適当なのはないか、ホテルは確保してあるか、自分で確保した場合どのように保証されるか等々聞きました。結局、いい便はなく、案内の通りの便で行くことにし、ホテルの予約は自分でして後から航空会社に請求することにしました。翌朝の搭乗は9時10分からなので2時間の余裕をみると7時前にはホテルを出る必要があります。特に、今回も私たちには滞在許可証が未発行で携帯しているのはその申請書類だけなので、通関でもめる可能性もあります。そこで、空港に近いホテルを探して予約しました。時間が迫る中でのホテル探し、ツイン・ベッドの部屋がなく結局ダブルベッドの部屋で我慢することに。オンラインチェックインはしてあったのですが、その確認証を提示して搭乗券を受け取るという手はずなので、やはり搭乗2時間前に羽田へ向かいました。重い荷物2つを両手に持てば傘はさせません。幸い雨が小降りになりあまり濡れずに恵比寿駅まで到着できました。羽田のチェックインで荷物を預けるときに聞くと、ご自分でホテルを予約した方が確実ですとのこと。まぁ、これも経験のひとつになります。

翌朝4時半、もう浅い眠りを続けても仕方ないと二人で腰痛体操を始めました。1時間弱で終えた後、飛行機に乗ってから食べればいいので、ホテルで焦って朝食をとらなくてもいいのに、食べてしまいました。リンゴの煮つけは甘さが抑えられ、またクロワッサンはフランス流でどちらもおいしかった。チーズもコクがあり旨いのですが、イタリアの方が種類が豊富で好みの合うのを見つけやすい。チェックアウトでの混雑は意外に時間がかかることもあるので、朝食はそこそこ済ませてカウンターへ。航空会社に提出する領収書は正式のものを発行してもらいました。ホテルからターミナルへは昨晩乗ったCDGVALという無料のシャトル便を使えます。第2ターミナル駅に到着すると出発ロビーに近く、また、パスポート・チェックはなく、荷物検査もそれ程厳しくはありませんでした。この点、私たちの限られた経験内のイギリスやドイツの空港と比べてもフランスの方が好感が持てます。結局、出発までにたっぷり時間が生まれたので、CDG空港の配置を究明しておこうと待合室の家内から離れて地図作りに出かけました。

CDG空港は第一、第二、第三ターミナルから成り立っていて、そのうち私たちに関係するのはどうも第二らしいことが分かりました。日本からの到着は2E(この2は第二ターミナルを表すようです。右図上下対称形のうち、赤い気球「Terminal 2」マークの下の部分)。フィレンツェ行きは2F(右図の「Terminal 2」マークの上の部分)からのようです。Air Franceが第二、第三のほとんどを占有している状態です。いつも2Eから2Fへとても長い距離を移動してフィレンツェへの便に乗り継いでいた印象がありますが、第二ターミナルの中だけでの移動だったとは。これで次回からはあまり急がなくても乗り継ぎできます。今回も途中、アルプスが冠雪を減らしてよく見えました。フィレンツェ空港に降りてみると風が強くよく着陸できたなと思う程でした。かなり急ブレーキをかけた着陸でしたので、MACのPCを前の座席に飛ばした人もいたほどです。私も岩波新書とデジカメを前の席まで飛ばしたのに、前の席の初老のイギリス人夫婦に手渡されるまで気が付きませんでしたけどね。

そんなことで、半日遅れでやっとPratoに戻りました。戻るといつものように、水の調達、買い物、散髪。荷物の片づけ。2日経って今日はAir Franceへのクレームの作成(HPのフォームへの入力と領収書の写真添付をして送信するとAir Franceから受信メールが届きます。)。明日からは普通の生活に戻れそうです。今回、フライト遅れによるホテル泊が余分でしたが、朝早く起きてしまったためか、その日の午後は恐ろしく眠かったので午睡し、夜もまぁまぁよく眠れました。そのためか時差の解消が3日目にして完了したようです。そういうメリットでバランスがとれたことにします。また、来年まで落ち着いて仕事に励みましょう。

(右の写真は、今年夏、富士見町のお蕎麦屋さんで頂いた花活け。Pratoの道端で咲いていた花と相性よく、とても可憐。)
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欲望の経済史~ルールが変わる時、NHK Eテレ

(2018-08-12)
(写真は2018年6月26日21:30頃、窓から見えた夕陽に光るアルプスの一部。手前の大きな山塊はモンテローザかも。この後しばらくして、客室乗務員に「今はもうフランス上空にいますか」と聞いたら、「機長に聞いてきます」と言ってから戻り、「Dijon上空です」ということでしたから、フィレンツェからディジョンとまっすぐに飛んで、その線上にアルプスの高峰が位置していたことになるのではないかと想像しています。)


8月12日、例年のように3ヶ月の予定で日本に戻ってから、すでにその半分が経過してしまいました。
おかげさまで二人とも元気で、お爺さんはpythonを、お婆さんはTinyJPGでDatini帳簿の写真を最適化してファイルサイズを縮める作業を続けています。このTinyJPGを使うと4000KBの元画像が600KBとおよそ15%くらいになります。するとユーザーがDatiniの画像を見ようとするとき、より短い時間でダウンロードが完了するようになります。さて、

1.NHK、Eテレ、シリーズ 欲望の経済史~ルールが変わる時~1

    つい最近、ある私の敬愛する方が表題のNHKのTV放送があったことを教えてくれました。この番組は今でも、ここ[https://www.youtube.com/watch?v=xNXRtacyquU]をクリックするとご覧になれる筈です。(旨く第1回が現れないときはいろいろ試してみて下さい。)

    この番組は6回シリーズで、その第一回目、「時が富を生む魔術~利子の誕生」のなかに、プラートの国立古文書館が登場します。私たちは昨年2月か3月頃、いつものように古文書館でDatini帳簿を撮影していました。そのとき、日本人取材班とイタリア人通訳、そして、私たちのご指導をしてくれているNigro教授の奥様でフィレンツェ大学准教授のAngela Orlandi先生がどっと現れました。そして、まず閲覧室で何冊か古文書を見せながら説明し、私たちが帰るころには、丸テーブルが置いてある別の部屋でインタビューを受けていました。もちろん、ずっとカメラを回しています。私たちは一目で日本人と分かりますので、折角、中世の街Pratoまで取材に来て日本人がウロチョロしているのは、映像的に美しくないという判断でしょう。私たちは完璧に視界から外されています。Angelaさんが最初に登場する貸付について無利子だった事例の場面では、カメラをもうちょっと左に回せば、私たちが写っていたはず。私たちが話しかけても、NHKのスタッフはちょっと迷惑そうな感じでした。それでも、来年1月には放送の予定だということは聞き出せました。この放送は2018年1月5日のようですから、その後の多くの取材・編集を経て、予定通り放映にこぎつけたことになります。番組では古文書館の外観が写る少し前に、Pratoを囲む城壁の門のひとつが映ります。ここをくぐって300mほど進むと、私たちがPratoに着いて最初に住んだアパートの入り口になります。

    Angela先生はスペイン語の著作もあるだけに、Datini帳簿のなかでも、とりわけ、Barcelona、Valenza、Maiorcaの商館を通じた東スペインでの事業活動に造詣が深く、また、今年5月のDatini週間では「地中海と北海、これを結ぶ人と港のネットワーク」というテーマで講演をされました。前回のブログで大学の先生と学生のbacioに触れましたが、その先生はAngela先生です。2015年の12月にはディナーに招待して頂いたこともあります。天井の高いマンションで壁には大きな絵画が飾られ、お手伝いさんがいて、いろいろなトスカーナ料理をごちそうになりました。?????というパスタ(うーーーん。名前を思い出せない。ネットで検索しても出てこない。断面が丸いうどんに針金をゆるく巻き付けた後、とりのぞいたようなパスタなんだけど。)をそこで初めて食べたこともいい思い出です。私たちは地味だけどギュッと詰まった花束とクッキー(手製ではありません)をお持ちして、一応喜ばれました。そんな先生と古文書館が登場する番組を見て、Pratoがちょっと懐かしくなりました。

2.今年の山小屋のちょっとした異変

これまでになかったような高温のせいでしょうか。今年は黒い大きな蟻が家のなかにも現れています。以前は10mmに達しないような蟻だったのが、今年は20mm近い大きさです。その上、その一族の羽根蟻のようなのもいて、これは30mm位もあります。大きいだけならば、特に気にかけなくてもいいのですが、夜中や明け方近くに、何やらボリボリ、プチプチ木を齧るような音が聞こえてくるのです。今にこの山小屋は蟻に食い尽くされるのかと不安に襲われます。屋根の葺き替え工事をしても、その下のボードまで剥がさなければ中がどう浸食されているかが分かりません。屋根工事、防虫工事とコラボして貰わないと旨くいかないかもしれません。相当な費用をかけても、きっぱり解決するならば、そうするのも一つの方法ですが、かなり研究が必要になりそうです。困りました。

それで、ひとつの方法として、壁や天井にドリルで小さな穴をあけ、その穴からアリ・キンチョールを吹き込ませ、その後、ねじでその穴を塞ぐ方法を考えつきました。昨日から今日まで、80個程穴をあけて、吹き込んでみました。まだ、結果は分かりません。蟻の死骸をあまり見てないので、もしかしたら住み辛くなってこの家から出て行った・・・となってくれたらいいのですが。明日の様子がどうなっているか、気がかりです。この家も築後25年たってあちこち寿命がきています。でも、骨格が蟻に蝕まれるとなると、一部の取り換えや修理では済まなくなってしまいます。それを避けるためにしばらく穴あけ・吹込み・ねじ込みを続けましょう。

(写真はその大きな羽根蟻。確かに蜂ではなさそうです。)


pythonとイタリア式bacio

(2018-06-18)
(写真はあちこち古帳簿を押さえながらの古文書館での写真撮影風景。)

1.Pythonでのシステム構築

6月17日(日)、今日は日がなPythonプログラミング。昨日も一日中プログラミング。Pythonでの帳簿システム構築がある程度人に見て貰えるようになったので、6月6日に古文書館で館長さん、C嬢、スタッフの方達にプレゼンをしました。そして、その1週間後の13日、今度はC女史の家でN教授とF博士にご覧頂きました。

    以前はOOoCalcの表計算ソフトとそのマクロ言語によって、帳簿写真とそれに対応したタイプ起こし文(以下「Trascrizione」と呼びます)と仕訳を見られ、かつ、貸借対照表・損益計算書、その勘定分析、原価分析ができるものでした。ところが、Pythonによる新しいシステムは帳簿写真が見られるほかに、それに対応したMySQLデータベースに蓄えたTrascrizioneと仕訳をインターネット回線を通じて読み書きできます。したがって、今度は数人での共同作業が可能となる画期的システムです。画像写真はデンマークのプロバイダーに、データベースは米国New Jersy州のホスティング・サービスに置いていますので、pythonから見る帳簿写真はデーマークから、仕訳データはアメリカから取り寄せ、合体させて見ていることになります。そんな地球上を半周するような距離を感じさせず、サクサクと気持ちよく動きます。Trascrizioneを私達二人だけでなく、より強力な方たちの力も借りてやれるようにしよう、そしてあと72年間も入力作業をしなくても私たちのDatiniプロジェクトを実現できるようにしようということで、どこまでできるか皆目見当もつかなかったけど兎に角やってみようとOOoという清水の舞台からpythonという地面へ飛び降りたのが去年の12月5日。およそ半年で、まもなく実用になるところまで辿り着けたのはとても幸運でした。ほとんど素人の私にとって技術的に解決が難しい局面に直面することがあっても、pythonコミュニティは層が厚いので、ネット検索で手がかりをつかみ、考え続け、それぞれの問題ごとに眠りの浅い夜を一週間ほど過ごしながら、これまですべての難問を乗り越えることができました。ここまで来れば、後はこれまでの会計ソフト構築のロジックの蓄積が後押ししてくれますから、デッドロックに突き当たらずに済むのではないかと思います。

    そんなわけで、プレゼンはただのプレゼンでなく、私たちのプロジェクトへの勧誘を兼ねたものになります。実際、古文書館でのプレゼンではトスカーナ州の古文書館すべてを統括されているT女史が今年の10月に定年退職されるので、年金生活に入った暁には是非とお願いしました。また、C女史は既に年金生活入りされていますので、一緒に入力作業ができることをとても楽しみにしていますとお願いしました。T女史も、C女史も14世紀のDatini手書文書をバンバン読め、それぞれ沢山の著書、編書がある方ですので、私達の8時間分の仕事を女史ならば1時間でこなしてしまうでしょう。お二人とも、これまで、私達の仕事にエールを送ってきてくれていましたので、嫌だともいえず、むしろ乗り気な手ごたえを感じました。あと5人強力な共同作業者を募り、私達の目の黒いうちに何とかDatini帳簿をくまなく閲覧できるシステムの完成にもっていくつもりです。その大きなステップを踏み出せたような気がします。古文書館のC嬢は25年後、そしてV嬢は30年後に私達のプロジェクトを引き継ぎ発展させてくれるでしょう。C嬢はプレゼンの後、私達それぞれにイタリア式のbacioをしてくれました。


(写真はChiaraとCarlaにbacioの実演をしてもらったところ。今は右、左、そしてもう一度右と3回するのがはやりだとか。)

2.イタリア式bacio

Pratoのチェントロ(旧市街)を歩けば(Pratoだけではないでしょうが)、あちこちでイタリア式bacioに出会います。皆、チェントロをよく散歩しますが、そのお目当てのひとつが、知り合いに会い、bacioをし、話をすることではないかと思います。bacioとは言いながら、挨拶のかたちですから、唇と唇を合わせることはしません(これは恋人同士、夫婦だけ!)。でも、相手の左頬、右頬に唇の端をつけ、若干接吻音も出します。 これは親しい相手同士、女性と女性だけでなく、女性と男性、男性と男性でもbacioします。どうも、この関係に一旦なると、bacioする状況なのにしないと気まずい感じがあります。大学の先生と学生もbacioします。N教授の奥様もフィレンツェ大学の教授ですが、古文書館で授業をすることがあります。そんなとき、この光景がよく見られます。学生を大事にしている感じで、とてもいい雰囲気です。

    私達もこちらに来て4年半。道で行きあってbacioする間柄にある人たちが何人もできました。私達は日本人でbacioに不慣れですから、イタリアの方としても、本当はbacioしたいんだけど、なかなかbacioに踏み切れないという状況があるようです。でも、あの人がbacioしているなら、私もという感じからか、去年あたりからbacioがぐんと増えてきたような気がします。まず、私達の守護神みたいな家族、Cristina, Carlo, Zeno。次にDatini博物館のLida。画家のGustavo。いろいろな意味での先生Mario、その奥さんCarla。Datini財団のSila、Laura。音楽学校Verdiのフルートの先生、Silvia。C(Cavaciocchi)女史、F(Francesco)博士、N(Nigro)教授。状況によってはC(Chiara)嬢。でも、不思議と頻繁に会っていても、金銭関係がある総菜屋の人、銀行、会計士の人とはtuで呼び合う関係であってもbacioしません。街であったらbacioできるよう態勢を整えておく必要がありそうです。下を見て歩いていてはいけませんね。そうすれば、遠くも見ようとしますから、目の疲れもとれます。これだから、生まれ育った街は離れがたいのですね。

3.今日のお買い物

このところ同じようなものばかり買っているなとお思いでしょうが、値段が違っています。パンのデビューは初めてですね。全粒粉の天然酵母パン、今日のは530グラムあって、1.5ユーロ。サクランボ(ciliegia、チリエッジャと読みます)は1kgで3.9ユーロ。オレンジが0.99ユーロ/kg。ネクタリンと黄桃も0.99ユーロ/kg。その他野菜も買って、7.5ユーロ。扁平型の白桃サトゥルノは別のお店で買って、1kg1.5ユーロ。随分値段が安くなり、そしておいしくなっています。

前回の記事のモデナのciliegiaの引き売りは6月10日にPratoに来ました。二通りのciliegiaがあり、赤黒い方はとても甘みがあり、また、日本のサクランボのような色をしたciliegiaは甘みの中に酸味が混じり果肉に張りがあってこれもとてもおいしい。特別措置でIVA(付加価値税)が免除されており、その分安くなっているはずですが、7ユーロ/kgでした。年に一度はこの贅沢をしましょう。でも、今はもう、旬ですのでメルカートのciliegiaで十分おいしく、こちらで満足です。毎日二人でおやつに食べて、5回分くらいかな。




今日のお買い物(春から夏へ)

(2018-05-22)

今日は月曜日。週1回のメルカートの日です。Prato Porta al Serraglio駅の北側、歩いて家から20分弱のところ、普段は広い駐車場をその日は駐車禁止にして、引き売りならぬ引きトラックの横腹を開いてその上にテントを懸ける形で、いろいろなお店が並びます。
 私たちが買うものは、ほぼ決まっていて、野菜、果物、乾燥トマト。新鮮で値段が安いので、月曜日はここに来て買います。新鮮だと日持ちが断然違います。以前はインテグラーレ(全粒粉)の天然酵母パンを買っていましたが、家の近くにおいしいパン屋さんができて、そこでやはりインテグラーレのパンを買うようになりました。パンは日が経つと固くなるため、週に一度沢山買うより2,3度に分けて買うほうがよく、新しいお店ができて重宝しています。

 さて、今日買ったものは、ひとつのお店でアスパラガスとキウイ、別のお店でセロリ、タロッコというオレンジ、黄桃、ネクタリンです。お店によって得意不得意があるようなので、ひとつのお店ですべて買うということはありません。以下のユーロ価格の円換算額は、最近のユーロ・円の為替レート131円前後を参考にしてください。

 アスパラガスは500gで2ユーロ、キウイは約1kgで1.5ユーロ。別のお店で買ったものは全部で7ユーロ。よく内訳は分からないいのですが、たぶんセロリが2ユーロ、タロッコが1ユーロ、黄桃とネクタリンで4ユーロ。「たぶん」というのは、セロリとタロッコはkgあたり1ユーロ、黄桃とネクタリンはkgあたり1.5ユーロですが、7ユーロと言われてその金額を払うのですが、それぞれ、どれだけの重さがあったか分からないので、値段は個々には分かりません。外国では値切るのが当たり前なんて思っていましたが、ここメルカートでは値切る人はほとんど見かけません。 

 アスパラガスはただゆでて肉料理などの添え物として食べています。4月頃から総菜屋さんでよく「zuppa di primavera」(春のスープ)というのが店先に並びましたが、これは、アスパラガスがたっぷり入ったスープで、とてもおいしかった。セロリはワイン酢に漬けて食べていますが、そのワイン酢は瓶詰の小粒玉ねぎのワイン漬を食べ終わってから、そこに漬けるので、やはりこれもワイン酢漬けになるというわけです。

 先週はイチゴとブラックチェリーを買いました。イチゴは先週が旬だったかもしれません。桃とネクタリンは先週あたりから出てきました。これからどんどんおいしく、そして安くなります。ブラックチェリーも先週あたりから。これはkg5.9でした。今日はもう少し安くなっていたと思いますが、はっきり覚えていません。ブラック・チェリーはアペニン山脈を越えてボローニャの西30kmあたり、モデナが有名な産地です。最盛期にはモデナからの直売店がPratoにもやってきます。これは少し高いけど、粒ぞろいでとてもおいしいので、今から心待ちにしています。モデナといえばアチェット・バルサミコ(酢)。ほとんどのバルサミコ酢にはモデナ産と書いてあります。これは熟成期間24か月以上で樽を変えながら作りますから、結構いい値段です。そのせいか、容器は趣向をこらしたガラス瓶でとても重いので、残念ながら日本には持って帰れません。ペットボトルに移し替えて持って帰るのもどうかな。家内はバナナを買ってくると、これにバルサミコをかけて食べています。

 タロッコは中がブルーべりのように赤黒く、酸味と甘みがとけあった素晴らしいオレンジです。12月頃からずっと食べていますが、いまだにおいしい。今年はおいしく食べられる期間が長いように思います。多分シチリアから来るのだと思いますが、南北に長いイタリアは果物がおいしく安く、その点はとてもいいところです。

 家のベランダからはツバメが忙しく飛んでいるのが見えます。朝は低いところをすごいスピードで通り抜けていき、昼間は空高く飛んでいます。時間によって飛ぶところが違うのは虫の居場所が違うからでしょうか?目で追いかけていると目が休まります。


Cavalciotto a Santa Lucia分水施設の見学散歩

(2018-04-22)
4月21日(土)、
友達のMarioに誘われ、Pratoの街の北側に位置するCavalciotto(分水施設)を見学に行きました。ビセンツィオ川から水を引き込み、人の手によって掘られた総延長50kmのgora(堰)をゆるやかに流下させ、堰沿いに設置されたmulino(水車)の動力として、また灌漑用水として利用され、Pratoにとってなくてはならないものになりました。 48ヶ所のmulinoは蒸気機関が発明されるより600年も前の時代には貴重なエネルギー源だったことでしょう。この日はCavalciottoと用水の見学会をPratoの保存会の方たちが開催し、60名位の老若男女と子供たちが集まり、大変盛況でした。Pratoには週末のひとときを家族でこんなふうに過ごすカルチャーがあります。

1.Santa Luciaの位置

サンタルチア教会はPratoのチェントロから約5km北へ行ったところにあり、その周辺の地域がサンタルチアと呼ばれます。地図(上が北)右上から左下方向にビセンツィオ川が流れ、赤丸で囲んだ流れのくびれたように見えるあたりにCavalciotto分水施設があります。

2.Gora(堰)とmulinoのはたらき

ゴーラはCavalciottoの南西方向に広がる標高差50mの殆ど平らな土地を何本かの用水に分かれながらゆっくりとうるおし、一部Pratoの旧市街も通過しながら南下して、Pratoの南ombrone川に合流します(この川とBisenzio川はFirenzeから流れてくるArno川に合流してPisaでTirenia海に注ぎます)。mulinoは穀物を挽くための石臼を回転させるために役立ちことはもちろんですが、Pratoではとりわけ12世紀初めからgualchiera(毛織物製造の重要な工程のひとつである縮絨)のために使われました。gualchieraはwalkと関係があるようで、羊毛を織った後、密度の濃い織物にするため、はじめ足で踏んで目を詰める作業をしていたところ、mulinoの動力を利用して織物をぐっと踏みしめるような動きをさせる機械を生み出しました。これにより生産性があがり、13世紀にはPrato産の毛織物は高い評価を得る元となり、当時人口がはるかに大きかったFirenzeもPratoのこの産業を頼りにしていたほどです。しかし、当時の経済圏は今で言えば地産地消の範囲内に納まるもので、この限界を打ち破りPratoの羊毛産業がさらなる飛躍をするためには西欧・北アフリカ・地中海圏すべてを視野に収め、かつ、資金力を持った商人の登場を待たなければなりませんでした。

1383年、Datiniは15歳から47歳まで過ごしたAvignoneから生まれ故郷のPratoに戻ります(ちなみに法王がAvignone捕囚からローマに戻ったのは1377年、シスマ(教会の大分裂)は1378年、そこから5年後の帰郷)。Datiniはそのような条件をこの上なく満たしていた商人で、彼の帰還後、Pratoはその技術的優位を発揮し、その販路を世界中(当時の主要な経済圏)に広げることになります。Datiniがどのような経過を経てPratoの羊毛産業に資金投下するまでの判断を下したかについてはいずれ書きたいと思いますが、まだ、私的に準備不十分。・・・という歴史の流れのなかで、その生産基盤を提供したCavalciotto、Gora、そしてmulinoの三点セットはPratoにとっていかに大切なものであったかが分かるような気がします。


左の写真は上流からの流れを受け止める壁。たびたび洪水を引き起こしたビセンツィオ川をどう制御するかについては、1630年ガリレオ・ガリレイも求められて現地視察をし意見を述べ、1631年に書かれた書簡も残っているそうです。

Cavalciottoの全景が分かるドローンの空撮動画がありました。
こちらをクリックしてご覧ください。




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