Cavalciotto a Santa Lucia分水施設の見学散歩

(2018-04-22)
4月21日(土)、
友達のMarioに誘われ、Pratoの街の北側に位置するCavalciotto(分水施設)を見学に行きました。ビセンツィオ川から水を引き込み、人の手によって掘られた総延長50kmのgora(堰)をゆるやかに流下させ、堰沿いに設置されたmulino(水車)の動力として、また灌漑用水として利用され、Pratoにとってなくてはならないものになりました。 48ヶ所のmulinoは蒸気機関が発明されるより600年も前の時代には貴重なエネルギー源だったことでしょう。この日はCavalciottoと用水の見学会をPratoの保存会の方たちが開催し、60名位の老若男女と子供たちが集まり、大変盛況でした。Pratoには週末のひとときを家族でこんなふうに過ごすカルチャーがあります。

1.Santa Luciaの位置

サンタルチア教会はPratoのチェントロから約5km北へ行ったところにあり、その周辺の地域がサンタルチアと呼ばれます。地図(上が北)右上から左下方向にビセンツィオ川が流れ、赤丸で囲んだ流れのくびれたように見えるあたりにCavalciotto分水施設があります。

2.Gora(堰)とmulinoのはたらき

ゴーラはCavalciottoの南西方向に広がる標高差50mの殆ど平らな土地を何本かの用水に分かれながらゆっくりとうるおし、一部Pratoの旧市街も通過しながら南下して、Pratoの南ombrone川に合流します(この川とBisenzio川はFirenzeから流れてくるArno川に合流してPisaでTirenia海に注ぎます)。mulinoは穀物を挽くための石臼を回転させるために役立ちことはもちろんですが、Pratoではとりわけ12世紀初めからgualchiera(毛織物製造の重要な工程のひとつである縮絨)のために使われました。gualchieraはwalkと関係があるようで、羊毛を織った後、密度の濃い織物にするため、はじめ足で踏んで目を詰める作業をしていたところ、mulinoの動力を利用して織物をぐっと踏みしめるような動きをさせる機械を生み出しました。これにより生産性があがり、13世紀にはPrato産の毛織物は高い評価を得る元となり、当時人口がはるかに大きかったFirenzeもPratoのこの産業を頼りにしていたほどです。しかし、当時の経済圏は今で言えば地産地消の範囲内に納まるもので、この限界を打ち破りPratoの羊毛産業がさらなる飛躍をするためには西欧・北アフリカ・地中海圏すべてを視野に収め、かつ、資金力を持った商人の登場を待たなければなりませんでした。

1383年、Datiniは15歳から47歳まで過ごしたAvignoneから生まれ故郷のPratoに戻ります(ちなみに法王がAvignone捕囚からローマに戻ったのは1377年、シスマ(教会の大分裂)は1378年、そこから5年後の帰郷)。Datiniはそのような条件をこの上なく満たしていた商人で、彼の帰還後、Pratoはその技術的優位を発揮し、その販路を世界中(当時の主要な経済圏)に広げることになります。Datiniがどのような経過を経てPratoの羊毛産業に資金投下するまでの判断を下したかについてはいずれ書きたいと思いますが、まだ、私的に準備不十分。・・・という歴史の流れのなかで、その生産基盤を提供したCavalciotto、Gora、そしてmulinoの三点セットはPratoにとっていかに大切なものであったかが分かるような気がします。


左の写真は上流からの流れを受け止める壁。たびたび洪水を引き起こしたビセンツィオ川をどう制御するかについては、1630年ガリレオ・ガリレイも求められて現地視察をし意見を述べ、1631年に書かれた書簡も残っているそうです。

Cavalciottoの全景が分かるドローンの空撮動画がありました。
こちらをクリックしてご覧ください。


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今日のお買い物

(2018-03-23)
3月1日、プラートで5年目にして始めての積雪がありました。さらさらの粉雪ですが、強風の吹き溜まりになるベランダはすぐにうまってしまいました。東京でも、ここでも、今年は寒いところを選んでいるような感じ。

雪のあとはほとんど毎日雨。3月はだいたい雨が多いけれど、今年は特に土砂降りになることが多かったようです。お彼岸を過ぎてやっと晴れの日が続くようになりましたが、またまた寒波と強風、春はまだおあずけです。

さて、今日のお買い物。歩いて20分ほどのコープへ行ってきました。私たちは週に一度はここでお買い物をします。その他はメルカートで週一回、別の二つのスーパーでそれぞれ10日に一度くらいずつ、あとは週2回の総菜屋さんとパン屋さん、これで食べ物の買い物はほとんどすべてです。それぞれのお店で買うものはほぼ決まってきました。

    コープの組合員になると特別に安くなるものがあるので、私はこちらに来てまもなく25ユーロの出資金を払って組合員になりました。これで終身組合員になれ、毎年の組合員費はありません。

    お買い物の中身はというと。。。(ここのところ1ユーロ130円位です)。。。まず、シチリア産のミニトマトは甘くて、お気に入り。350グラムで2.28ユーロ。人参は量り売りでキロ当たり1.2ユーロ。ほうれんそうの芽、1パック79セント。全粒粉の小麦フレーク、300グラム入りで1.25ユーロ。、コープ店内で焼いているバゲット30cmくらいで89セント。ずっしり重い黒パン、9枚切の500グラムで1.6ユーロ。

    牛乳1リットル入り94セントを2本。鶏手羽先と手羽元、キロ当たり3.2ユーロを618グラムで1.98ユーロ。豚肉キロ当たり9.78ユーロ(3ミリ位のしょうが焼き用程度の厚さ。これより薄いのは売っていない)を220グラムで2.14ユーロ。ヨーグルト500グラム70セント(これは日本のカスピ海ヨーグルトのようにねっとりしていて日持ちもよく、主人はおいしいと言っている)。キウィ、キロあたり2.78ユーロを7個袋につめたら、2.38ユーロ(日本のスーパーで見かけるものより、ひとまわり大きく、酸味と甘みがしっかりしている)。いわしひまわり油づけ、一缶120グラム(正味85グラム)が62セント。チーズ2種類、ヤギの熟成チーズ162グラム3.39ユーロ(これは主人用。私は匂いがきついので遠慮しています)、ピエモンテ産のフォンティーナというチーズ170グラムで2.53ユーロ(これは朝食用)。(その他、今日は買いませんでしたが、トスカーナのピエンツァ産・熟成ペコリーノ1キロあたり16.9ユーロがワインのお供で、主人は冷蔵庫に欠かさないようにしています)。

    これにイチゴ500グラム2.98ユーロが加わり、締めて25.87ユーロのお買い物でした。値段は品質の割りに東京より安いような気がします。特に、コープの品は品質が確かで安心して買えます。買い物の値段が張ったなと思うときは大体チーズをたくさん買ったときです。

    最近は量り売りの野菜、果物を入れる生分解性のビニール袋が有料になり、1セント加算されます。これも環境のため、いいことですね。



新しい査証でPratoに戻りました。

(2018-02-22)


2月16日、新しいVISTO(査証)を手に無事Pratoに戻りました。

1.日本からのフライト

2月15日23:50羽田発の便で日本を出発し、パリ経由で17時間後の16日朝9:00フィレンツェ空港に無事着きました。30時間前のオンラインチェックイン解禁と同時にチェックインしましたが、のっけからビジネスクラスは既に空きがなく、エコノミー席で帰ることになりました。空港へは息子夫婦に車で送って貰いましたが、羽田空港ターミナルビルまで行ってしまうと、アクセスがバス・タクシー・個人の乗用車などで恐ろしく混雑しているので、京急平和島駅で下ろして貰い、そこから電車で12分、空港にスムーズに滑り込みました。これはベストの方法でした。家内の腰は本調子からは程遠く心配でしたが、機内最後尾の連続席を確保しておいたので、1人が立っていれば家内は腰から背中を平らにして横になれます。そんなことを2回だけ繰り返して、12時間のフライトを消化できました。私も足を前の席の下まで伸ばす方法を見つけて1時間ほどまどろみ、その後は大分楽になりました。家内も同じくらい眠れてちゃんと自分の足で、フィレンツェへの乗り継ぎ口まで問題なく移動できました。でも、朝4:45分のドゴール空港は店が閉まっていて、人も少なく、搭乗口まで辿り着くのは楽ではありませんでした。

ドゴール空港からフィレンツェまでは1時間半くらいです。それなのにこの区間を間違って ビジネスクラスにアップグレードしてしまいました。特に横になれるわけでもないし、足元がすごく広いわけでもないのに、おかしいとは思いながら”ビジネス”の言葉の残り火にひかれてフラフラと変更してしまい、キャンセルも不可の状態になってしまったのです。でも、この席は一応”ビジネス”でした。朝食が単なるサンドウィッチとコーヒーでなく、チーズとハムと卵料理とサラダなどホテルのようなメニューなのです。そして、3つの席の真ん中は空いていて、その両側を二人だけで使う形になっています。何よりよかったのは席を移動して小窓の外の景色を眺められることでした。私たちのPratoへの帰路はこれまでずっと夕方から夜でした。ところが、今回初めて朝、それも明け方からの便です。飛び立ってしばらくすると、墨色のとばりの両端を大男が両腕をいっぱいに伸ばして引きちぎり、そこに出来たはるか遠くの何筋もの水平の隙間に、待ってましたとばかり、オレンジや水色や曙色の光が満ちてきます。この日がとりわけ特別というわけでもないのに、そう思わせるスペクタクル。見飽きることがありません。そのうち、飛行機の周りの雲が途切れて、遠くに山なみがうっすらと見えてきました。モンブラン(イタリア語ではモンテ・ビアンコ)、モンテ・ローザ、チェルビーノなどその主峰を構成しているのかもしれません。おそろしく静かに佇んでいます。神々がそこに住んでいるかのようです。

2.昼寝、水汲み、買物、昼食、昼寝、買物

スムーズなランディングの後、バスでPratoのアパートに10時に着きました。何はともあれ、昼寝です。1時間半ほど横になって、お爺さんは水汲みに。お婆さんは総菜屋へ昼食を調達に行きました。暫くぶりにPratoの街を歩いてみると、査証が取れたからこそ、今ここをこうして歩いていられるのだなぁ・・・と感慨深いものがありました。寒気の中を道行く人にも前より親しみを感じます。そして、昼食はキノコ入りのポレンタ。久しぶりの飾らない、でも念入りに味付けされたイタリア料理、とてもおいしく臓腑に浸みこみました。そして、また2時間ほど、昼寝。寝起きは、寝ている最中に叩き起こされたような感じでとても眠いです。でも、起きないと夜眠れませんから仕方なく起きます。そして、COOPへ買い物へ。牛乳、ヨーグルト、レタス、オレンジ、キウイ、チーズ(ペコリーノ2種、フォンティーナ、ゴルゴンゾーラ)、ウサギのレバーなど買いました。そして、また、休んで夕食、夜は早く寝ました。私たちは旅行者ではないので、早めに時差を解消するため、多めに寝た方がよさそうです。

3.滞在許可証申請Kitの作成と提出

VISTOでの入国後8日以内に滞在許可証の申請をしなければなりません。査証があるのに、その他何で滞在許可証が必要なんだと思いますが、査証は入国許可するもので、かつ、その滞在理由をその後の滞在許可証に与え続けるという意味があります。2013年12月にイタリアに来たときは滞在許可証申請には苦労しましたが、今回は日本に帰る前に、移民局での予約を済ませておきましたので、21日に申請書の作成をして貰えました。移民局で申請書の作成を担当してくれる方は、私たちにVisto per Residenza Elettiavaの取得を勧めてくれた方で、今回、そのVISTOを見せるととても喜んでくれました。いつも私たちには好意的に接してくれます。そして、申請書の書留発送のために郵便局へ。警察の滞在許可証申請受付は郵便局が担当しています。警察と郵便局、イタリア官僚組織の最悪の組み合わせと言ってもいいのではないでしょうか。今回はPratoの本局はやめて、もっと小さな郵便局で申請してみました。ちゃーんとやってくれるではありませんか。申請をすると、警察への出頭日が指定されます。5月3日、13時43分と13時46分。手数料は警察へ70.46ユーロ、郵便局へ31.5ユーロ、その他印紙税16ユーロの合計117.96ユーロです。その割にサービスが悪い。でも、一応大事な手続きが済みました。4年前と比べると大変な進歩です。

4.Tessera Sanitaria(健康保険証カード)の申請

イタリアは国民皆保険ですので、旅行者のような臨時滞在者でなければ、誰でも加入できます。でも、結構保険料が高い。前年収入の20,658.28ユーロまでが7.5%、20,658.28を超える部分については4%の保険料率が適用されます。介護保険料は徴収されません。去年11月から日本を発つまでの4ヶ月半、かなり、健康に不安を感じましたので、何はともあれ、加入することに決めました。申請はUSL(Unità Sanitaria Locale)という事務所で行ないます。前の日に保険料を計算して郵便局で納付して、納付書のコピーを作りました。その他、滞在許可証申請の税金納付済書と書留発送受理証も提出します。この事務所は一日で手続きが済むイタリアでは稀な場所です。ところが、今日は受付で変な女性に出くわしてしまいました。あなたたちには私たちは何もしてあげられませんというようなことをちょっと私たちから聞きかじった情報をもとに平気で言うのです。私たちは既に4年超ここにいて、このオフィスにも7,8回は来ています。それなのに、イタリア語が分からない外人扱いをして間違ったことを言っても恥じるところがありません。私は久しぶりに頭にきて、乏しいイタリア語の能力をフル活用してまくし立ててしまいました。でも、聞く耳を持たないのですね。自分でこうと思い込むと間違った方向にずんずん進んでしまうのです。私たちのパスポートと期限切れの滞在許可証をもってどこかに消えてしまいました。これはヤバい。パスポートを失くされて、そんなもの受け取ってませんと言われたら、渡した・受け取ってないという水掛け論のまずいことになる。私たちを旅行者と勘違いしたようだったので(そもそも、貴重な時間を使って旅行者が訪ねてくるほどUSLは素敵なところではありませんよ。発想からして狂ってる)、プラート市発行の身分証明書をもったれっきとしたプラート人なのだと分からせて欲しいと、受付の若い女性に頼みました。経験の浅い人たちのようでしたが、何とか、伝えて貰いました。しばらく後、窓口に案内され、話の分かる女性担当者がバンバン手続きを進めてくれました。それだけの書類を万全に用意して出かけたのですから当たり前ですけど。あの、女性は何だったんだろう。ただ、手続きの邪魔をしただけだとしか思えません。こんな場面にこれまで何度出くわしてきたでしょうか。あぁ、こんなことで随分時間をむだにしてきたなぁー。多少、言葉と手続きについて慣れるにしたがって、次第にこの辺の事情が分かるようになってきました。でも、Pratoに戻って、4営業日目までに、滞在許可証と健康保険証申請手続きまで、済んだのですから、4年2か月前と比べれば、大変な進歩だと自画自賛することにしましょう。健康保険カードは1,2週間で郵送されてきます。滞在許可証の指紋取りのための出頭は5月3日です。それまで、ダティーニの仕事に専念できます。
今回も達磨さん、ありがとう!!!


新しい査証を受け取りました

(2018-01-29)
予定通り日本に戻り、1月12日に新しいVISTO(査証)の請求をしました。

1.日本へのフライト

1月9日夕方Pratoを発ちパリ経由全行程15時間超の旅を経て、10日夕方7時半羽田に無事着きました。家内の腰の調子が上向かず、何日も前からこのフライトはとても気の重いものでした。エール・フランスは搭乗時間の30時間前からオンライン・チェックインが可能になります。そこで、チェックインの際に、もっと腰への負担の少ない席に代えられないものかと探してみたら、ありました!ビジネス・クラス!二人とも生まれて初めての席。着陸してしまえば同じことだと、これまでずっとエコノミーだったのに、今回は違うんだ。着陸してからイタリア大使館に歩いて行けなかったら帰国の意味がなくなってしまう、と思い切ってアップグレードしました。

この席は身長2mの人までフル・フラットに寝られるという楽ちん席でした。シート脇にテーブルがあり、その中に水平にテーブルを収納できるようになっていて、その見やすいところに座席形状をコントロールするボタンがあります。介護用自動ベッドのような席です。家内は隣でしたが、かなり起き上がらないと隣の席は見えません。離陸してシートベルト着用サインが消えるとすぐ、シートを平らにして横になっていました。家内はあまり大きくないので、随分広々した席に見えます。無事日本にたどり着けそうだと少し安心しました。食事のときだけシートを起こします。横になっている乗客が多いため、このクラスでは食事時間にも幅をもって対応してくれます。何と毎回テーブルクロスを掛けにきてくれます。食事と飲物もグレードが上です。そんな具合で、いつもは1時間まどろめば上出来なのに、今回は5時間位眠れました。これだけ眠れると旅も短く感じられます。家内もまあまあ眠れて飛行機から降りた後も腰の調子は悪くならず、元気でした。これでひとまず最初の関門をクリアできました。
空港へは家内の兄夫婦が車で迎えに来てくれました。ビジネスで帰る、と連絡したら、え?あのケチな妹が?それほど腰が悪いのか・・・ということで、一肌脱いでくれたのです。

2.イタリア大使館へ申請

Visto申請はすべて完全予約制です。ちなみに1月12日の予約は12月1日に行ったもので、その後どんどん予約が埋まっていってしまうのです。予約した日に出頭できないと改めて列の最後尾に並ぶようなことになるので、フライトの遅れは日本での滞在日数が限られている今回のような場合、致命的です。そこで遅れた場合に備えて1日余裕をおきましたので、順調なフライトの後体を休めるために使い、12日にイタリア大使館に申請に行きました。
予約は10時半。途中バスが渋滞にかかりのろのろ運転でしたが、何とか間に合いました。ところが、この日は窓口の担当者が普段は2人なのに1人だけ。しかも綿密に提出書類をチェックしているため、予約時間は大幅に過ぎ、私達に順番が回ってきたのは12時半頃。細かく書類をチェックしてくれ、書類がきちんとしていると褒めて頂けたので、何だか不安が少し減りました。後で書類の不備を指摘されると、簡単に1週間遅れてしまいますから、却ってよかったです。そして、交付は1月29日ですと、引換券をくれました。
     大使館への申請者のなかには他に日本人は見当たらず、中国、ロシア、インド(パキスタン?バングラデシュ?)国籍の人ばかりでしたので、なぜかなと思いましたが、彼らが日本滞在中にイタリアに旅行するには、ヴィザが必要で、それを滞在時の在東京イタリア大使館に申請するらしいです。日本人の場合にはヴィザなしでイタリア旅行ができるのとは違うのですね。結局、その日の受付の最後が私達でした。Pratoの警察でも、早くから並んでいるにもかかわらず、結局、最後になってしまうのと似ています。ここもイタリアでした。

3.いよいよ29日

12日以後、大使館からは書類の追加提出、不備補正など、何の連絡もありませんでしたので、大丈夫だったのでないかとうすうす思っていましたが、入学試験と同じで、結果を見るまでは不安は拭いきれません。今回は滞在許可証の延長手続きをしないで、新しいVISTOに賭けたような状態ですから、これが下りないと少なくとも6か月間はイタリアに戻れません。イタリアのアパートからもちょっと出かけるのと殆ど変わらない状態で出てきましたから、戻れないといろいろ具合の悪いことが起きるでしょう。手続的にもできることはすべてやり尽くしてきましたから、もう、途方に暮れるだけです。それで、やはり、心の底ではドキドキしながら大使館の門をくぐりました。
今日は窓口は二人で担当していて、流れがスムーズでした。部屋に入って5分もしないうちに、「引き換えの人はどうぞ」と声をかけてくれます。引換券とは、申請の日に預けたパスポートにVISTOを記載したものとの引換券です(そうです。ヴィザの申請中は身分証明書がなくなってしまうのです。ですから銀行での手続きも中断になってしまいます)。そして、すぐ新しいVISTOを交付してくれました。ちゃんとresidenza Elettivaと印字してあります。受取ってみると意外とあっけなく、これまでの7ヶ月の苦労が嘘みたいに思われてきます。でも、これで、Pratoに戻れるという安堵がぐんと込み上げてきました。私たちのイタリア生活第2弾がこれから始まります。これからはもっといろんな人と力を合わせてプロジェクトを進められるようにコミュニケーション力を高めていきたいと思います。体調を整えて再出発です。これからもよろしくお願いします。


新年おめでとうございます。

(2018-01-02)

あけましておめでとうございます。今年一年がすべての人にとって明るい佳き一年になることを願います。東京は寒く、初雪があったとか。こちらは暖かく今朝の最低気温が8℃。本年もよろしくおねがいします。

まもなく、日本に戻り、新しいVISTO(査証)の請求をします。これが今年の最初の課題です。VISTOを実際に手にするまで今は何も手がつかないような心境です。こちらはNATALE(クリスマス。キリストの誕生を祝うという意味がこのイタリア語にはあって、CHRISTMASやNOELよりぴったりな感じの言葉)の後、1日だけお休み。今年は6日のEPIFANA(またはBEFANA。これについては2015年1月のブログをご覧下さい)が土曜日なので、明日から、平常通りの生活に戻ります。NATALEはCさんの家族に呼ばれご主人のCさん、Z君、それと画家のGさんと一緒に食事をしました。その翌日は日本びいきのMさんLさんに招ばれ、お茶とおしゃべりをしました。Mさんは4月から6月まで京都で語学学校へ通い日本語を勉強するとのことです。古文書館のC嬢(と言ってもSさんという方と結婚していますが)も、NATALEはどう過ごすのかと尋ねてくれたので、もし、何もなければ招んでくれたのかもしれません。Pratoではいろいろな人が気にかけていてくれます。

I .[健康の問題] 2017年は私達の健康にいくつか変調がありました。

I-1 まず、家内から

[腰痛] 11月19日、Pratoでオペラ・カルメンの上演があった日の朝、じわっと来る腰痛に見舞われました。オペラはいい公演だったのに途中で退席しました。その後、一進一退を繰り返しました。これは慢性のヘルニアから来るものではないかと思っています。それが治る間もなく、12月27日の朝、今度はビリッとくる腰痛に見舞われました。おそらく、これは炎症を伴っていると思うので、絶対安静にしていました。その甲斐あって、昨日は一緒に歩いて総菜屋に行けるところまで回復しました。腰痛は家内の長年の悩みですが、若い頃との違いは、3人の子を出産し育てた後、年齢が進み、日常のほんの何でもない所作が腰痛の引き金になる点です。今は、とにかく飛行機に乗って15時間のフライトをこなし、東京の家に無事たどり着き、12日にイタリア大使館に査証申請できることが念願です。2月にPratoに戻った後、近しい人の協力を得ながらいい方法を追及します。

[腹部痛] 腹部が掴まれるような感覚の苦痛が最近以前より長く続くようになったとのことです。腰痛で寝返りを避ける必要があるため、睡眠が短くまた浅くなっていることも影響しているかもしれません。この症状については家内が自分で以前調べたことがありながら原因不明で、また、本人でも的確に表現できないものです。ハッキリした原因が見つかれば早めに取り除く必要があるので、VISTO申請の後、早めに検査して貰います。
VISTOが下りれば、また変化が生まれるかもしれません。ストレスが取り除かれるといい方向に向かうかもしれないし。

I-2 次に私。

[めまい] 11月13日の朝、ベッドで上体を起こした瞬間、グラグラと眩暈を覚えました。その後、いつものように仰向けになったまま体操をはじめ、下半身を右に捻転させたとき、また眩暈がきました。その後、座るために上体を起こしたときにも3たびの眩暈が。いままでに体験したことのない大きさで、もし、起立した状態でこれが起きたら、床にどたっと昏倒するほどの感じです。こりゃイケナイと途中で体操をやめてベッドに戻りました。それまで、Life is too short to drink bad winesなどという言葉を銘にして、数週間、休肝日を置かずに飲み続けたことがいけなかったのかと思い、まず、ワインを断ちました。そうしたら10日程で眩暈が消えました。さらに、10日間断酒を続けた結果、再発はありません。血糖値はむしろ自然で血圧も正常の範囲です。今考えると、滞在許可証、査証、健康保険などの手続きをめぐるストレスが最大の要因だったのかなと思います。こちらにきた2013年12月のクリスマスのころ、それまで何の問題もなかった前歯の左2枚目の内側が突如穴をほじくったかのように、ポロっと欠け落ちたことを思い出しました。これも今から思えば、ストレスだったかと思います。物事がなかなか片付かない状態が継続するとストレスが形になって現れる体質なのかもしれません。

[首] 2番目は首を回すことが辛いこと。借金もないのに首が回らない。もう2年間続いていますが、考えて見ると僕は小さい頃から枕なしで寝ていました。でも、人間の骨格を横から観察すれば、枕なしだと、上体と頭を自然な湾曲から外れたところで繋げたまま長時間不自然な状態に置くことになります。それで、メモリー枕に思い切って変えました。寝られないかなと思いきや、寝られました。眩暈を感じると同時に枕を変えた後、今では大分よくなってきています。

[右ひざ] 3つめは右ひざの痛み。これも2年ほど続いています。歩行には問題がありませんが、ひざの屈伸運動をしようとすると、8回位は痛みが走ります。その後は慣れます。これは動かし続ければ、そのうち、自然治癒すると思います。いずれも、老化過程の現象とまじりあっているのかもしれません。上手に通り抜けて、安定した老年期を迎えたいものです。

私たちは破れ鍋に綴じ蓋。家内と二人がかりでないと、私たちの仕事は、写真撮影さえ前に進まないのです。12月22日にDATINIのPISA商館の帳簿59冊のうち52冊まで撮影を終え、自分のサイトにアップロードしたところまで来ました。その後は、ストップしていますので、残りの7冊はまた、こちらに戻ってからやり遂げましょう。新年早々、楽しくない話題で失礼しました。しかし、誰でも遅かれ早かれ直面すること、これも私たちの生活の重要なひとコマとして記録しておきたいと思います。

II.[システム構築の話] 次はガラッと話題を変えて、DATINIシステムの話。

II-1 Pythonにたどり着くまで。

前回のブログで書いた、Datiniシステムのシート構成とマクロ(自動実行コマンド)を根本的に組みなおす作業は終わり、組替えに伴う不具合も解決しました(11月29日)。そして、Datiniシステムの帳簿部分をインターネット上のリレーショナル・データベースMySQLに流し込むこともできました(12月4日、手作業で)。ひとつのDatini帳簿について数人が同時にDatini帳簿の入力作業を行うことの第一歩が踏み出せたかと思ったのも束の間。そうは問屋が卸さないのがシステム開発。その理由は?

DatiniシステムはOpenOfficeOrg.Calc(OOoCalc)の上で動き、そのプログラミングはOOoBasicで書いています。もし、OOoBasicでインターネット上のMySQLに接続し、そのデータを読み書きできれば、これまでの開発作業を生かせて最高です。そこで検討したことは、

1)[cURLを使う] 画像のダウンロードですでに実現したように、OOoBasicからcURLを呼出し、MySQLに接続する方法。しかし、画像のようにすでに存在するファイルをそのままダウンロードするのとは違い、まず、MySQLに接続して仕事をさせ、その作業結果を受け取る手順になりますから、その分、命令が複雑になるため、画像のように一行でプログラムが出来上がるというわけにはいかないのです。cURLは独自の発展を遂げつつあり、cURLだけでシステム構築ができる言語にまでなっています。しかし、私は、これまであるOOoBasic資産に足りないものを求めているだけで、すべてをcURLでやりたいわけではありません。で、この案は非現実的で没としました。

2)[OOoのUNOを使う]OpenOfficeOrg.はUNOという素晴らしい機能を持っているらしいのですが、JAVAで画像ダウンロードしようとした時と同様、UNOのマニュアルをああでもないこうでもないと読み漁りましたが、結局、私には難しすぎて今回もやはり断念しました。OpenOfficeOrg開発の中でこの部分は戦力が手薄でほんの数人でマニュアルまで書いているのが現実ではないかと思います。ですから、分かりづらい。この道は、明確な否定理由を把握できないまま、現実判断で、恥も顧みず引き返したというのが正直なところです。でも、2度目なので、早逃げで傷を浅く。

3)[PHPとcURLの合わせ技] PHPはインタラクティブなHP制作で定評のあるもので、バックグラウンドのデータベースと繋いで素晴らしい仕事をさせることができます。私も一時、PHPとPostgressで会社の経費精算システムを作ったことがありました。これはインターネット経由で、顧客会社の従業員が出張先から経費精算書に記入することができるという画期的(と私が考えていた)ものです。でも、今回は、PHPで会計システムまで作れませんから、この組み合わせ案からも早逃げしました。

4)[Pythonを使う] 会計プログラムを組むために、C++やJAVAを使おうなどという大それたことは私にはできません。私は会計の道具としてプログラムに手を染めているだけで、こちらからはできるだけ早く足を洗い、会計に専念したいという願いがつねにあります。しかし、協同作業のためのプラットフォームは絶対に作らなくてはいけません。Pythonというプログラミング言語にはOpenOfficeOrgのためのマクロ言語のひとつとして採用されていることから、以前から惹かれるものがありました。OOoCalcの土壌の上で、OOoBasicからOOoPythonに足を踏み入れてみようかという気持ちは前からあったのです。ちょっと調べてみただけでも、Pythonは途方もない人々が関わりPythonコミュニティを形成し、進化し続けているようです。そして、PySQLというライブラリを使って、PythonからMySQLなどのデータベースに接続しデータのやりとりができることが分かりました。次の節で書くようにサンプルプログラムをコピーして実行してみたところ、12月4日に作った私のデータベースに接続して12月12日にうまくデータを受け取ることができました。そこで、Pythonで行こうと決めました。

II-2[Pythonの第一歩]

Pythonを使うための道具を揃え、マニュアルを読みつつ、サンプルプログラムをいろいろ試しながら、自分のシステムに使えそうなものを蒐集していきます。インストールは慣れないとなかなかうまく行かない難しさがありました。

1) (12月6日) 最新版と思えるPython-3.6.3をダウンロード、インストール
2) (12月7日) より普及版らしいPython2.7シリーズの最新版に乗り換えるため、Python2.7.14.amd64.msiとPython-2.7.14.tgzのダウンロードとインストール。マニュアル読始め。
3) (12月7日) wxPython3.0-win64-3.0.2.0-py27.exeとwxPython-4.0.0b1-cp27-cp27m-win_amd64.whlのダウンロードとインストール。これはダイアログを作るために便利らしい。
4) (12月10日) PyMySQL-0.7.11.tar.gzとPyMySQL-0.7.11-py2.py3-none-any.whlをダウンロード・インストール。上に書いたようにMySQLとの接続に必要。
5) (12月12日) MySQLに接続、データ取得できた。
6) (12月13日) pycurl-7.43.0.1.tar.gzとpycurl-7.43.0.1.win32-py2.7.exeをダウンロード・インストール。
7) (12月17日) wxPythonでtextCtrl(仕訳番号のためのダイアログ上の入力セルのようなもの)を90行作成し、表示させることに成功。でも、スクロールバーを付けられない。
8) (12月20日) Pillow-4.3.0-cp27-cp27m-win_amd64.whlのダウンロードとインストール。画像処理のために使います。これを使って、内臓ディスクからの(インターネット経由でない)画像読込・表示が旨くできました。
9) (12月24日) wxPythonでtextCtrlに入力したデータの読込ができました。
10) (12月29日) wxPythonでタイトル行、画像、90行のtextCtrlの表示、垂直・水平ScrollBarの表示がやっとできました。
11) (12月31日) wxPythonでタイトル行にComboBoxを設け、そこにPyCurlを使って自分のインターネットサイトのディレクトリ情報、ファイル情報を取得して、ComboBoxに流し込むことができました。さらに、画像ファイルを取り込んで表示できれば、意図したプログラムの最初の半分ができあがりです。

OOoBasicからPythonに当面の重心を移して1ヶ月、こうして列挙してみると順調な出足のようですが、その時々でどちらへ進んだらいいのか迷いの連続です。画面周りのwxPythonの使い方では7割程労力を費やして、運よく思い描いていたように動くようになりましたが、それは結果であって、うまく行ったからよかったものの、出来なかったら、まだ、辛い暗中模索を続けなければいけないところでした。

(VISTOの取得は、また、達磨さんだより。片目だけ入れました。4年前より、ちょっと優しそうな達磨さん。お願いしますよ!)

2004年にExcel Visual BasicからOOoBasicに乗り替えたときより、この道を進んでいっていいのだろうかという不安はまだ大きく付きまとっています。でも、やればやるだけPythonには良さが見えてきますし、私の僅かなJAVA経験と比べてもプログラミング・スタイルの肌が合いますので、明るさもあります。今年前半でPythonでのシステム構築を終えることができれば上出来。そうしたら、家内と一緒にデータベースへの入力ができるようになります。実際に使いつつシステム改良を続け、安定したものにしながら、入力協力者との共同作業という私たちの目標に近づいて行こうと思います。でも、そのためには、人に呼びかけ、一緒にDatini帳簿を入力する気持ちになって貰わなければいけません。やはり、イタリア語そして英語の能力は避けて通れず、結局ここに戻ってきます。オッケー!なんでも必要なことはやりましょう!!

それにしても、イタリア全土の古文書館を統括するローマの官庁、早く古文書写真公開にゴー・サインを出してくれないかな。今はまだToscanaの古文書館を統括するT女史が交渉してくれている最中のようです。2018年は契約締結後2年目ですから、今年中に皆さんにいいお知らせができるといいなと思っています。
それでは、改めて、よいお年を!


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