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Zibaldone構想

(2017-06-19)
(写真は家から見えるCalvanaの丘。ジネストゥラが山頂付近を黄色に覆っています。これは染物用の釜の燃料として利用されていました。ということは、刈り取って里まで運んできて、売って、多少の収入を得ていた人がいたということになります。)

     4月10日に、待ち焦がれたDatini研究の必読書、Federigo Melis著、Aspetti della vita economica medievale.(Studi nell'archivio Datini di Prato)(経済面から見た中世生活の諸相(プラート国立古文書館での研究)、1962発行)という本が届きました。かなり古い本ですし、需要も多いので、あちこち古本屋を覗いてみても見かけることはなく、半分あきらめていました。でも、もしかしたらAmazonにあるかも知れないと思いついて検索したところ、偶然見つけ、すぐ注文して手に入れることができたのです。ちなみに価格は120ユーロ、今Amazonで売りに出ているのは220ユーロですから、随分価格にぶれがあります。 この本も大きくて重いので、日本に帰るとき、とても持ち運べません。そこで、とりあえず必要なところをスキャンしてPDFファイルにしてPCに保存しました。

    そんな準備を経て、第4部、簿記、の部分を読み始めたのが4月18日。それから毎朝5時から6時半までこの本を読んでいます。とは言いながら、本を読むというより辞書を引いていますと言った方が合ってます。前の日に読み進んだ箇所を読みかえすと必ず意味のはっきりしない言葉を再発見するので、辞書を引きなおします。そして、関連する単語を引くと、また、分からない単語や理解のあいまいな言葉が出てくるのでまたこれを引き、、、と繰り返してるとすぐ6時になってしまいます。私はイタリア語が大してできないのに、最初から伊伊辞典主体で勉強してきました。最初のうちは、どころか、つい最近まで、ひとつ分からない単語を引くとその数倍分からない単語に出会ってしまって、それを一つ一つ引いていると、どんどん分からない単語が増えていき、辞書に挟むしおりがどんどん増えて、しばらくすると、最初に引いた単語は何だったっけと思い出せなくなり、入り口も出口も分からない迷路で立ち往生してしまうのです。記憶力の減退は否定のしようもないものの、これは辛いし、悔しい、希望というものが失せてしまいそうになりますよ。
    でも、こちらに来て3年半、そんなことを繰り返して、最近は伊伊辞典を引いて、ようやくその引いた単語の箇所で6割くらい意味が分かるようになって来ました。それと最近は辞書を引く傾向が変わってきて、熟語というか単語の組み合わせに注意し、言葉をひとまとめで理解するようになってきたような自覚があってうれしいです。もちろん、聞き話す方は殆ど進歩がありませんが。会話はなかなか繰り返しが難しいので、こちらは、まだ当分駄目でしょう。

    そんなことを続けながら6月14日、よちよちと38頁読み進みました。AspettiはFederigo先生がDatini帳簿からどんな風に何を読み取ることができるかを、懇切丁寧に、そして情熱的に、細かい点にも注意を促しながら書いていて、とても勉強になります。さて、そこで出会ったことばが「zibaldone」です。zibaldoneを辞書で引くと、「(文章の)寄せ集め、雑録、雑記帳」と書いてあります。伊伊辞典では「無秩序にメモ、身辺のできごと、思いついたことなどを書き留めておくための本、ノート」と説明されています。私も大学入学後、日記帳は続かないので、折々に思いついたことを書き留めておく雑記帳をつけていました。それを思い浮かべてこの「zibaldone」という言葉にとても惹かれるものを感じました。そこで他にどんな意味があるのかについて知るために、インターネットでこの言葉を検索してみると、Giacomo Leopardo(1798年6月29日ー1837年6月14日)という人の「zibaldone」がリストアップされました。レオパルディは「十九世紀のイタリア最高の詩人、というよりペトラルカ以後の最高の抒情詩人」(脇功氏)といわれるものの、日本ではそれほど知られていないのではないでしょうか、私も知りませんでした。

    さて、この「zibaldone」をシステムとして独立させ、Datiniシステムからの別バージョンとして、経済史研究家の知的生産のための道具として雑記帳のように使えるシステムとして育てていこうと考え始めたのです。古文書館で古文書を読む人達のやっていることを観察していると、必ずメモをパソコンに入力し、そして大事なところを写真に撮ったりしています。そこから触発されました。

    まず、第一に画像については、私達は全部のDatini帳簿を撮影するつもりですから、Datini帳簿に関する限り、そして、プラート古文書館が私たちが撮影した帳簿画像を公開する限り、いずれ、この来訪者の撮影作業はすべて不要になるどころか、そもそも古文書館まで足を運ぶ必要がなくなります。この点については、現在のDatiniシステムと新たに構成するzibaldoneシステムとで基本的に変わるところはありません。しかし、Datiniシステムはピサ、ジェノヴァ、フィレンツェ、バルセロナなど8つある商館ごとに作成しますから、画像はその商館に属す帳簿画像だけ見られるようになっています。しかし、研究者は、おそらく各商館だけでなく、8つの商館すべてを対象として横断的に考察を進めるでしょうから、zibaldoneシステムでの画像表示は(商館ごとのLocalなものに対して)いわばGlobalな表示機能が求められるでしょう。この機能は新たに拡充する必要があります。

    第二に、メモについてはDatiniシステムの変形として、次のような方法が考えられます;
現在は帳簿画像を見ながらその左側の列に仕訳番号を入力します。そしてこの仕訳番号に対応して、手書きの仕訳をひとつひとつ漏れなくタイプ起こしして、ダイアログ(PC上にポップアップ表示する窓)を通じて、写真と対応できるようにしています。これに対しzibaldoneシステムでは、手書きの仕訳のタイプ起こしは私たちは行いませんし、他の誰も行いません。その代わり、ユーザーはテキスト入力箇所(仕訳の備考欄)を、各自、自分のメモ、要点、考察などを書き込むための雑記欄として使います。これは仕訳の備考欄とは異なった性格を与えられることになりますから、貸借のバランスという簿記の要請からは自由になります。但し、雑記欄は画像とリンクする必要がありますから、仕訳番号の付番作業は省けません。

    第三に、現在のDatiniシステムに備わっている仕訳の相互参照機能をzibaldoneシステムではどう扱えばいいかという問題があります。この相互参照機能は一対一(または一対多)の一組の仕訳を一覧表示するためのものですから、これらを関連付けて同時に見られることは重要です。経済史研究においても、仕訳を一組として見ることによって、その取引(経済事象)をより具体的に見ることが可能になりますから、zibaldoneシステムでは、この相互参照機能はやはり欠かせないものとして機能するでしょう。ただし、仕訳のバランスという制約から解放されているので、どんな他の仕訳(雑記欄)とも、思考上関連するものがあれば、すべて相互参照する方がより豊かな論拠を提供できるので、この相互参照機能は、商館の枠を超えて、より活用されることになるでしょう。

    第四に、現在のDatiniシステムがもっている貸借対照表、損益計算書作成機能はzibaldoneシステムではどう利用可能でしょうか?これについては、全く想像できません。バランスしない仕訳から集計値を作ったとき、結果として出てきた数字の意味は、各仕訳に与えた勘定コードと各仕訳に割り振った金額によって左右されるでしょう。しかし、貸借対照表、損益計算書の各勘定項目をひとつの論文の章節項目として再構成すれば、現在のDatiniシステムの勘定分析機能を使って、各目次に対応する仕訳(雑記欄)の一覧を表示させることができます。
(写真は我が家の家庭菜園のバジル。去年撒いた種の一部を今年撒いたので、危機感を抱いたせいか花を咲かせてしまいました。けなげだなぁ。)

    私たちの存命中に8つのDatini商館のすべてについて、Datiniシステムの仕訳備考欄ばかりでなく、金額欄、日付欄、勘定コード欄、為替レート欄等をすべて入力し、会計システムとして完結させることが到達し得ない目標であることははっきりしています。でも、それが、人類共有の貴重なDatini帳簿の唯一の活用策かと考えると、答えはNOです。また、長々と書いてしまったこのzibaldoneシステム。これはかなり有望な打開策ではないかと思います。私たちが他方で継続するテキスト起こし、これは私たちの心行くままの「研究=趣味・娯楽」という位置づけに変わるかもしれません。私たちの日々やることは同じとしても。

    明日はA博士がフィレンツェ大学で指導する学生の研究論文で私たちが作成した分析データを利用したいということで、打ち合わせがあります。これもPratoに来て初めての経験です。その場でzibaldone構想について、ご意見を伺おうと思っています。
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Gigliola CinquettiのNon ho l'età

(2017-05-17)

(写真はヴェローナのジュリエットの家。観光客がジュリエットのようにバルコニーから姿を見せている。2011年9月23日撮影。)

ジリオラ・チンクエッティ(Gigliola Cinquetti)が1964年、16歳でサンレモ音楽祭で(non ho l'età) を歌い優勝したイタリアの歌手であることは、私たちの世代の方はよくご存知のことと思います。ちょうど東京オリンピックの年で、私が中学2、3年の頃です。彼女の歌声も、伊東ゆかりの「夢見る思い」も、私の遅い思春期を呼び覚ませるものでした。Gigliolaとはgiglio(ユリ)の花と何か関係があるかもしれません。イメージに重なるものがあります。この歌の主人公もまた思春期で、まだ二人だけでデートするには若すぎるけど、もう少し待っていてくれれば、あなたの愛にこたえられるようになるとせつせつと歌っています(サンレモ音楽祭で優勝したときのビデオはこちらをクリック)。Peggy Leeの歌もいいけど、こちらはまた、おそろしくしろうとっぽいのに、聴く者の心をとらえるものをもっていて、これも歌ヂカラのひとつのかたちではないかと思うのです。では、歌詞を見てみましょう。日本語の二重括弧は私の訳ないし補足です。うまく整列できないので読みづらいとは思いますが、ご勘弁を。

Non ho l'eta   私はまだ 大人じゃない 《まだその年になってない》
Non ho l'eta   私はまだ 大人じゃないの
Per amarti    あなたを愛するには《ここでtiはかなりの親近感を表す》
Non ho l'eta   私はまだ 大人じゃない
Per uscire    出かけるには《uscireはデートするという意味》
Solo con te   あなたと二人だけで

E non avrei    そして 私は持ってないけど
Non avrei nulla 私は何も持ってないけど
Da dirti   あなたに話すことが《ここもti、2人称単数》
Perche' tu sai  でも あなたは知っている《ここもtu、2人称単数》
Molte piu cose  もっと多くのことを《はるかに多くのことを》
Di me    私よりも

(※) Lascia che io viva 私が(今を)生きるために 彼は去るの《誤訳。私がその年になるまでの束の 間、私を想いに浸らせてね》
Un amore romantico   このロマンティックな恋から《ロマンティックな愛の想いに》
Nell'attesa    彼について行くわ《その日を待ち焦がれながら》
Che venga quel giorno  その日が来たら《その日が来るまで。vengaは接続法、一人称単数。まだ非現実。》
Ma ora no    今はそうじゃないけど《でも、今はまだ、だめ》

Non ho l'eta    私はまだ 大人じゃない
Non ho l'eta    私はまだ 大人じゃないの
Per amarti    あなたを愛するには
Non ho l'eta    私はまだ 大人じゃないの
Per uscire    出かけるには
Solo con te    あなたと二人だけで

Se tu vorrai    もし あなたが望むなら
Se tu vorrai    もし あなたが望むなら
Aspettarmi    私を待っていて
Quel giorno avrai    その日にあなたは 手に入れるでしょう
Tutto il mio amore   私の 愛のすべてを
Per te    あなたに《(あなたへの。ここもte、2人称単数》
(※以下、繰り返し)

まだ、その年になっていないことを歌っているものですぐ思い浮かぶものには「Too young」があります。

Too Young

They try to tell us we're too young
Too young to really be in love
They say that love's a word
A word we've only heard
But can't begin to know the meaning of
And yet we're not too young to know
This love will last though years may go
And then some day they may recall
We were not too young at all
And yet we're not too young to know
This love will last though years may go
And then some day they may recall
We were not too young at all
ナット・キング・コールとナタリー・コールのビデオはこちらをクリック


この二つの歌はとても対照的です。GigliolaのNon ho l'etàは待つのに、Too youngは全然待ちません。人がなんと言おうとこの道を進む、後から振り返ってみて、私たちが若すぎたわけではないことを納得するだろうというわけです。ここにイタリアの保守性、家族との絆、そしてアメリカの進取の気性、独立精神が典型的に現れているように思います。イタリア人のセンティメントは日本人のものに近い気がします。イタリアの子供はそれぞれとても大事に育てられているので、簡単にはしがらみを断ち切れないのでしょう。そう言えば、ロメオとジュリエットは北イタリアのVeronaでの話が原作とのことですが、GigliolaもVeronaの出身です。それにしてもGigliolaの初々しさは創りようがなく生まれたもので、何とも尊い気がします。ぜひ、Youtubeを見てみて下さい。今回はなぜか突然歌の話になってしまいました。(前回のブログをご覧になっていない方はぜひそちらもお読み下さい。)


プラート古文書館との合意書締結

(2017-04-26)
2017年4月25日(写真はベランダに今咲いている我が家のバラ)

   Prato国立古文書館(ASPO)と基本合意書を締結しました。署名者は女性館長のT博士と私と家内です。正確な名称はとても長く、「Datini帳簿に関する情報システムの開発と共同使用によるPrato古文書館所蔵のDatini古文書活用のための合意書(Accordo per la valorizzazione dell'Archivio Datini conservato presso l'Archivio di Stato di Prato attaraverso lo sviluppo e la condivisione di un sistema informatizzato relativo alla contabilità datiniana)」です。合意書原案を受取ったのが4月13日、先方の誠意になるべく早く応えようと連日がんばって対案を書込み、4月17日にボールを投げ返して19日に話をし、その場で合意しました。この合意書はお互いが持っているものを結集しDatini帳簿がもっと活用されるように協力すること、そして双方とも他方に対価を支払うことはないということを約束するものです。私たちの作業が無償であることは変わりません。但し、古文書館はインターネット上で公開するための予算措置を国に要求していくことになります。

   この合意書締結までの経緯は2015年10月21日の先々代館長さんがSienaの国立古文書館に異動されたご挨拶のパーティーに遡ります。そこでT博士に初めてお会いしました。その年12月初めにT博士は名古屋を訪問すると聞いたので、それなら紅葉の綺麗なところへ行かれたらいいですよというお話をしました。その後、昨年2016年3月に中京大学の古文書管理状況視察団のASPOご訪問の際、お声をかけて頂いてちょっと同行し、また、夜の食事にもお付き合いさせて頂いたのが2度目。そして昨年6月24日、私達のシステムの実演を見て頂いたのが3度目。その後私達のシステムからインターネットに直接繋げて仕訳と古帳簿の画像を見られることの実演をした12月13日が4度目。その日にT博士から契約書を作りましょうという話がありましたので、この合意書はその提案日からちょうど4ヶ月を迎えた日(イタリアにしてはかなりいいペース)に、具体的なたたき台の提示があったことになります。T博士はToscanaの古文書館全体を統括されている方ですが、現在ASPOの常勤館長職は空席で、T博士がピンチヒッターで兼務されています。ご自分がASPOの館長である間に、合意書を作成し、今後の道筋をつけておきたいというお考えもあったかもしれません。もちろん、ずっと私達を陰になり日向になり助けてくれているC嬢からのこと細かい進行状況の報告がT博士に届いていたはずですし、私達のシステムのテストをC嬢と一緒にやってくれている私と同年代のMario(このブログ2016年3月4日号のMさん)の奥さんがT博士のPratoの名門高校の同輩であることから、Mario経由でT博士はいろいろ私達のことをお聞きになっていたという状況もあるでしょう。Marioと奥さんは私達をこれまで2回夕食に招いてくれました。こういう中でなんとなくお互いの信頼関係が育っているなか、合意書はスムーズに結ばれたと思います。

   加えて、T博士は2004年にElena Cecchi博士の編纂により発行された「Datiniのアヴィニョン商館に関する古文書目録」への序文を当時のASPO館長として書いておられます。私達はそれを一応読んでいましたので、そのDatini帳簿に対する熱意はよく分かっていました。特に、Datiniの書簡類はよく利用されるのに対し、世界に誇るDatini帳簿があまり利用されていないことに当時から着目し、これを何とかしたいという思いをずっと持ち続けていたのだと思います。C嬢はCecchi博士に手取り足取り教えて貰いながらASPOの古文書を整理してきた人でもあります。Cecchi博士は2014年2月か3月頃、小学生にDatiniのことを紹介する特別教室に来られたときに(このブログの2014年2月21日号の中のEC女史がこのCecchi博士)、当時執筆中の中世帳簿の略語便覧草稿をASPOに通い始めて間もない私達に下さった方です(ASPOに通っていると中世経済史の研究家とお目にかかる機会に恵まれますが、引き合わせてくれるのは決まってC嬢です)。そんな訳で、T博士と私達のめざすものが一致していることはずっと前から分かっていました。

   私たちが対案として書き加えた点は三つあります。まず、私たちの開発中のシステム(LCDD:Libri Contabili Digitalizzati delle aziende Datini)が私が公開している会計システム(3D簿記システム)からの派生物であり、3D簿記について私が適用しているGNU GPL ver.3がASPOについても適用されることを受け容れること。第二に、Datini研究所のC女史、N教授、A博士から得たご支援・ご指導にLCDDが多くを拠っていることの文言を合意書前文に含めること、第三に、LCDDについての著作権が私たちに帰属することをASPOが認めること、この三つです。これが受け容れられれば、私たちがそれ以上要求するものは何もありません。ところが、4月19日の冒頭で私がT博士に確認したところ、すべてOKということでしたので、実は交渉事の中心はすでに多分前日に解決済だったのです。
(GNU GPL ver.3についての追記。これはソフトウエアを無償公開する場合の権利関係を規制するしくみのひとつで、copy right(著作権)をもじってcopy leftの著作権と呼ばれます。原著作者(=私)はソースコードも公開し、利用者はソフトウエアの改変も自由に行うことができますが、同時に、改変後のソフトウエアを公開する義務を負います。改変を経ても公開性が継承されていく=残る(left)わけです。私が改善・強化していく気力・能力を失った後も、LCDDが独自に新しい生命を取り込みながら発展していくDNAを私の願いとともにGPL ver.3として組み込んだものです。ご興味のある方は「gpl v3 日本語」で検索してみて下さい。)

   当日は「それでは今日は英語で話させて下さい」と断って、この合意書についての私の解釈を話しました。通常のビジネスでは、この合意書はJoint Venture Agreement(合弁契約書)とソフトウエア・ライセンス契約書の合体したものに相当すること、事業の目的は、Federigo Melisさんという中世経済史研究のスーパーマンの業績を凌ぐ研究が行えるようなシステムとユーザーサポートを提供すること、合弁なので、例え想像上のものであっても、協働システム(Chester I. Barnardがその近代経営学の名著、The Functions of the Executiveのなかで使っている«Cooperative System»)が必要であること;私が研究開発部門のトップ、家内が手書帳簿のデジタルテキスト制作部門のトップ、同時に手書帳簿のデジタル画像制作部門のトップ、T博士は販売・マーケティング及びPublic Relations部門のトップ、C嬢はCustomer Support Service部門のトップですとざっと指名してしまいました。まぁ、想像上のことだからいいかという感じで、ニコニコ聞いていてくれましたが。でも、ここはイタリア。物事の進行は国の予算も絡むので、LCDDの公開に向けて、いつまでにどこまで進むかは神のみぞ知る。日々一生懸命やりながらも、のんびり構えているつもりです。ただ、C嬢へのLCDD使用に関するトレーニングは、この5月から一週間あたり5時間かけて、大っぴらに始められます。C嬢はやる気満々ですので楽しみです。


Veneziaへ行ってきました

(2017-03-23)
(写真は水上バス。後ろにリアルト橋がちょっと見える。)

Mestre発15時14分発、Intercity直行便は17時45分わずかに遅れてPrato中央駅に着き、昨日旅から戻りました。やはり、ふだん住んでいる家が落ち着きます。

Venezia!不思議なところ。海に浮かんだ島々にびっしりと建て込んだ街。人口5万人(行政区としては2012年現在、26万人)、旅行者5万人の街。本当に水の都で、メインス・ストリートはCanal Grande(逆S字型の「大水路・運河」)、それより狭い水路、そしてゴンドラしか通れないようなもっと狭い水路が縦横に走っています。陸上には狭い道(Venezia言葉でcalle)が建物の間を見つけてやっと通っています。腕を広げると塞げるような狭い道、建物の下を通り抜けられるようにしてある道、運河沿いの道(Venezia言葉でfondamenta)、そしてときどきポコッと空が広くなった広場(Venezia言葉でcampo)。これらの道が運河と交差し、橋があればその先に行けるし、なければ行き止まり。この行き当たりばったりの歩行の不便さが、腹が立つどころか、なんとも面白く、不思議なところ。どこでも自然と歩行者天国になってしまっているのです。イギリス人・アメリカ人・ドイツ人・フランス人・インド人・中国人、旅行者が、皆せっせと歩いています。自転車も禁止されているとか。ただし、Campoでの子供の自転車だけはOKらしい。

Canal Grandeを運航するVaporettoは、5分から10分に一本の頻度、各駅に止る船(1番線)と快速のようなめぼしい停船場にとまるもの(2番線)とあります。ローマ広場からサン・マルコ広場まで2番線ならば30分以内で着きます。私たちはMestreからサンタ・ルチア駅に電車で到着し、すぐ48時間切符を買いました。あとから分かったことですが、このVaporettoを運営するACTVはMestre方面へのバス路線も経営しているので、この48時間切符はバスにも適用になります。それで2日目からはバスで往復しました。このバスはMestreのホテルのすぐそばから発着するので、とても便利でした。初日は電車でMestreへ戻りましたが、Venezia駅でMestre停車の電車かどうか判断がつかず、何便か乗り越してしまいました。これは発着便の掲示板(印刷物。電光掲示板では分からない)を見れば分かるのですが、焦っているときはすぐには気が付かずに失敗しますね。


初日は、Vaporettoに乗ってサン・マルコ広場で降り、ざっと歩いてから、乗り換えて、ガラス工芸で知られているMurano島に行きました。ここの運河は本島より幅広で、ゆったりしています。工房の見物はしませんでしたが、ウインドウを覗きながら散策を楽しみました。


二日目は、いよいよ本丸のドゥカーレ宮、サン・マルコ寺院、コレール博物館。まず、ドゥカーレ宮、とにかくVeneziaの繁栄をカタチにするとこうなるという建物、内部意匠の華麗さがあります。ワシントンの議事堂とホワイト・ハウスを一緒にしたようなものかな。 右の写真はVenezia共和国の百人委員が議事をした場所で縦53mもある、ヨーロッパ有数の室内空間を形成しているとのこと。次に、サン・マルコ寺院。これを見るだけで、Veneziaに来た甲斐があった位。イスタンブールの聖ソフィア、RavennaのSan Vitaleをしのぐ金地のモザイクが天井から壁上部を全面覆っています。 コレール博物館には面白いものがありました。40cmを超えようかというかかとの木靴、花魁の下駄よりもっともっと高い。

三日目はヴェネチア国立古文書館に行きました。Canal Grandeの2番線Vaporettoに乗り、San Tomaで降りて歩いて10分足らず。サンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ聖堂のすぐ脇にあり、隣接する修道院を古文書館として使っています。古文書を並べると78kmの長さになるそうです。蔵書はVeneziaの行政・政治に関するものが豊富ですが、中世商人の帳簿は僅かあるのみのようです。
ここには撮影もできる部屋があるというので興味があったのですが、特に照明の設備があるわけでもなく、マイクロ・フィッシュの機械など置いてあって、時代遅れの感じでした。撮影も制約が多すぎて、Pratoの古文書館で仕事ができて幸せと再確認してきました。

帰りは時間が余ってしまったので、ローマ広場まで歩きました。意外と近くて15分で楽々着いてしまいます。道を間違えなければ10分。なぁーんだ、これなら最初から歩いてもよかったなと思ったくらいです。というわけで、見残したところは沢山ありますが、一度は訪ねる価値がある街でした。フィレンツェとどっちがいいかって?フィレンツェの方が安心して食事もできるし、人間もいいから、フィレンツェの方が好きです。もう、私たちはトスカーナ贔屓、それも再確認した旅でした。




Venezia旅行の手配

(2017-03-17)
(右写真は図書番号361のLibro Grande Bianco AというPisaで記帳されていた帳簿、厚さは10cm位。中味をはずして革装のカバーだけ撮影。牛革で未だに手触りは柔らかい。でも下の部分が破損している。出典Archivio di Stato di Prato)

今日はもう3月も半ば。Pratoもずいぶん暖かくなり、今日のお昼はベランダで食べました。随分長いことブログを更新ぜず、ご心配をおかけしました。2月初めに二人して風邪をひき2週間おとなしくしていました。これまでは一週間で直ったのに、今回は発熱は低空飛行なのに、風邪の症状を完全に一巡し、そしてなかなか完治しませんでした。いつも、薬は飲まず、栄養だけ摂りつづけて、免疫をつくろうと我慢しています。今は二人ともおかげさまで元気です。この風邪で古文書館での帳簿撮影も8日分失ってしまったので、以前はメルカートでの買物に充てていた月曜日も古文書館に行くように変えました。

3月6日に、Pratoの製造業についての帳簿の撮影を終えました。製本されているもの77冊と、Filzaと呼ばれる製本されていない報告書、抜書、書き方お稽古帳など種々雑多な書類の束が46束。このFilzaの内容はいろいろで、撮影も撮影後の写真の整理もとても大変で、帳簿の方が全然楽です。2月末まででこちらに来てから早くも3年3ヶ月経ちましたから、ここまで到達するのに随分時間がかかりました。でも、今は、撮影の小道具もいろいろ考案して作り、写真の位置決め、二人の呼吸も合ってきて、大分効率的になってきました。ライトを貸してもらえ、そのランプが切れたときに、勝手により明るいものに交換して、写真の色合いも、実際に近づき、気持ちよく撮れるようになってきました。Pratoに関する帳簿とFilzaにはこのほか商業についてのものが沢山ありますが、これらの撮影は後回しにし、今はPisaの商館の帳簿撮影に入っています。最初に書庫から出して貰った8冊はどれもA3判をわずか小さくした位の大きさで、枚数は400枚を超え、重さは10kgを超えるほどです。それを見たときは、一体撮影に何日かかるだろうと心配になりましたが(貸出期間は1月なので)、とにかくやってみようということで、撮影したところ、撮影後の画像チェックとファイル名整理まで含めて3日で終えることができました。撮影で一番人泣かせなのは、紙が折れ曲がっていたり、湾曲していたりするときで、これを伸ばしたり、広げたり、平らにしたりする作業が一枚一枚について必要になる場合です。これがこのPisaの大きな帳簿は素直なのでスムーズにことが運びました。ただ、これを入力していくのは大変ですよ。大きな紙に小さな字で、びっしり書いてあり、空白ページがこれまで経験してきた帳簿よりずっと少ないのです。

Datini帳簿については、原価計算の機能がかなりできてきました。染色業の原価計算では染料や色素の定着材の明礬などのコスト把握が重要です。これらの原料について勘定科目を体系的に設けられるよう、勘定体系を見直してより融通が利くようにしました。また、各仕訳の日付をこれまでは年月だけで記録してきましたが、染料の入出庫記録を再構成する上で年月日まで必要であることを痛感し、これを入力しなおす作業をしました。いずれも8000行を超える仕訳の見直しが必要ですから、随分時間がかかりました。この計算の過程で当時のカレンダーを作ってみました。いつ、染料釜を炊き、いつ給料を払ったかを記入すると作業の流れが見やすくなります。ときどき日付に曜日の記載もあり、1395年12月4日は土曜日でした。そして、1396年は閏年で、2月29日は火曜日、1396年8月1日は火曜日と、月日と曜日の関係は全然狂いません。その延長線上に私たちはいる。なんか不思議な感じがしませんか。

一応一仕事区切りがついたことにして、Veneziaへ気晴らしに旅行しようということにしました。復活祭の頃は気候がよくなり、休みになるので、混雑を避けその前とし、出発は来週の日曜日にしました。まず、ホテルの予約。Veneziaはホテル代がかなり高く、感じもよくないと聞いているので、電車で5分の隣駅の街Mestreで探してみました。すると、お手ごろなのが沢山ありました。結局、駅まで近くて4星ホテルで2泊で税込120ユーロ、朝食は4ユーロのプラス、その他宿泊税が3.1ユーロ。全部で二人分134.2ユーロのホテルに決めました。これがVeneziaの4星だと、割引していてもこの時期、240ユーロにはなります。それと、食事。Veneziaに泊まったら、Veneziaで食事ということになりますから、これがまた問題。Mestreのトラットリアもインターネットで調べると、おいしそうでリーズナブルなお店がいろいろあります。Padovaでの料理がおいしかったので、海にもっと近いMestreでは、期待がふくらみます。ところで、観光はどこを見ようかな。一日目はまず、48時間有効の船の切符を30ユーロ(一人分)で買い、これに乗り、まず、グラン・カナルの運河からの景色を見ようとおもいます。もしかして、ずっと船に乗っているだけだったりして。でも、Branoの島に足を伸ばすのも気分転換になるな。二日目はやはり有名どころで、Ducale宮殿、サンマルコ寺院、Fenice劇場、そして街を歩いて道に迷うのも面白いらしいです。三日目はVeneziaの古文書館に行って、Pratoの古文書館とみくらべてみたいと思います。電車はボローニャ乗換えでプラートを朝8時半頃に出るとMestreに11時半前に着きます。電車賃は43.8ユーロ。帰りは直行便で午後4時前にMestreを出るとプラート着が夕方5時半。料金は39.8ユーロ(いずれも二人分)。行きと帰りで値段が違うのも面白いですね。Trenitaliaのインターネットで時間と料金を見比べて予約しました。
今日は準備段階の話。何かのお役に立つかしれません。帰ってきてから、ヴェネチアでの体験をお知らせします。それでは、また。


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