FC2ブログ

Datini帳簿 事始

(2014-01-27)
2014年1月15日。

 話は荷物到着の前に戻ります。また、古文書館では撮影禁止なので、これから暫く、写真を載せることがあっても古文書館とは無関係なものしか載せられませんので、このことご容赦下さい。

 さて、ダティーニ研究所のC女史が「官僚相手の形式的なことをすべて済ませてから、研究の進め方について相談に乗りましょう。」と仰ってくれたことは以前書きましたが、滞在許可書がいつ交付されるか分かりませんので暢気なことを言っておられません。また、昨年Prato到着後はじめてDatini研究所へご挨拶に伺ったとき、N教授からどんな風にプロジェクトを進めるのかねと聞かれて焦ったことも書きました。そのとき以来、年末年始ずっとそのことを考え続け、それをイタリア語で表現しようとしていました。イタリア本の読書歴は皆無で表現のストックがなく、でも身の程知らずにもすっと自分の胃の腑に落ちる表現を探しながら書きたい性分ですから、辞書を引いても気に入った表現がいつまでも見つからず、一日にワンフレーズも進まない日が何日もありました。それをやっとというか強引にというかA4用紙1枚のメモにまとめて、C女史にこんな風に考えているけど相談に乗ってくださいとメールで1月10日にお願いしたのです。 そうしたら、すぐお返事があって、1月15日か16日に古文書館に来て下さいと連絡があったので、では、早い方がいいと15日を選びました。

 約束の朝10時に行くと、5分もしないうちにN教授が階段を上がってくるお姿が見えました。「Tutto è bene?」(万事順調かな?)と気さくに尋ねてくれます。見ていると、フリーパスと思いきや、N教授もまず、来館者名簿に書き込んでいます。これには例外はないようです。そのうちにC女史が現れ、古文書館の前のBarで待機していたAさんも揃いました。丸テーブルを囲んでN教授とAさんがどんどん話を進めます。私はメモに、事業規模が大きくなく、新規にスタートした会社であって(開設時から帳簿をつければ資産負債の内訳の作成が容易)、他の会社の帳簿を手がける段階にも応用の利く会社(Datiniは個人資産の管理会社を除くと、時期は異なるものの8つの会社に出資し経営していた)を選んでその帳簿から始めたいと書きましたので、その線で話が進んでいるようでした。C女史は建築や意匠の方がご専門のようですが、ときどき意見を投げています。そのうち話がまとまったようで、私の希望を入れ、Pratoで1395年に設立された羊毛染色の会社からはじめようといくことになりました。その大きな理由として、この会社についての沢山ある帳簿のなかに、手書きの帳簿を全文タイプ版に置き換えたものがあるということがあげられました。原本と対訳本を併せ読みながら手書きの帳簿を解読する能力を身に着けるのが一番早いという考えです。早速、その会社の帳簿の一冊の原本を書庫から運んでもらい、試しにちょっと見ました。やはり全然読めません。そのうち、金額の話になり、当時のお金の価値は、金や銀や各都市の貨幣の相対的価値が常に変動していて、とても複雑だとのこと。では、外国為替の評価差損益のようなものを計算していたのですかと聞くとそうですとの答えです。今のように中央銀行があるわけではないし、長靴型をしていてお互い通じる言葉を喋っている土地で商売をしていても、都市国家が並立していたので、例えばベネチアとフィレンツェではお互い外国のようなものだからそうだろうと思いましたが、やはり、参ったなと思いました。会計システムがどうしてもその分複雑になります。 話を途中で切り上げて、では、その対訳本をこれから渡すから、今度は研究所へ一緒に行こうということになり、席を立ち上がりました。

 ところが、N教授は名士です。隣の閲覧室に行くと女性の研究者が古文書を読んでいて、近づくと女性は笑顔を見せて立ち上がり、お互い二の腕辺りに手を置いて、ゆっくりと頬を互いに右左触れ合わせ言葉を交わし挨拶しています。かと思うと今度は古文書館の館長さんがどなたかと話し合っている別の部屋にお顔を出し、またいろいろ言葉を交わしています。館長さんの対談相手とも親しいようです。どの人もN教授に深い敬意を表わし、そして思いがけず話ができることを喜んでいる様子です。教授もゆったりとしばし会話を楽しんでいるのでしょう。日本の大学の先生はどうでしょうか?

 さて、この光景を眺めている時間は長く感じましたが10分も経たなかったかもしれません。やがて、N教授のお部屋へ行きそこである女性研究者の1968・69年学期の博士論文を受け取りました。まず、これを読みなさい。それを読むと染色会社の帳簿の概略が書いてありますとのこと。そして、こちらが対訳本。いつでもいいからここから必要なものを持って行きなさいと言ってくれました。ここから、またいろいろなことが始まるわけですが、それはまた追々。

 この日のことを思い返してみると、私たちが殆ど会談に加われなかったのに、なぜ古文書館を選んで、しかも、お歴々のお三人が顔を揃え、そこに私たちを加わらせたのか、疑問が生じます。考えられることは、そうすることによって、古文書館の人達に対して、私たちを粗略に扱わないように、そしてできれば協力してあげるようにという、無言のメッセージを発することが最大の目的ではなかったかと思いました。ご配慮に頭が下がります。そしてまた大きなプレッシャを感じます。うまいんだなぁ、N教授は人を怠けさせないことが!そして、実際、古文書館の方たちは、あのすらすら古文書を読めるCさん始め、いつも私達にこころよく協力してくれています。

続きを読む

スポンサーサイト


荷物が届きましたが・・

(2014-01-18)
写真は郵便局窓口。12も窓口が並んでいても、職員がいる窓口は半分くらい。

  銀行からFaxを送ってもらった甲斐あってか、1週間後に荷物が届きました。
  外出から帰ってくると、郵便局に荷物が来ているから取りにくるように、という知らせが郵便箱に入っていました。まさか、届けてくれないの?と半信半疑で行ってみると、電話しても応答がなかったから、と配達してくれる気配はありません。1つ20キロ近い荷物を6個、次々と出してきて目の前に積み上げて行きます。夫は担いででも家まで運ぶつもりのようでしたが、片道10分はかかるし、到底無理。窓口で台車を借りられないか、と言って見た所、案外すんなりOKしてくれて、倉庫のようなところから2輪の手押し車を出してきてくれました。1回に2個づつ合計3回、夫は汗だくで何とか家まで運びました。こういう時には役に立たない腰痛もちの私は郵便局にいて荷物がなくならないよう見張り。 
  しかし、日本から送ったのは7個で、届いたのは6個。すべて開封された形跡がないので、サンプル検査で1つだけ調べられて、それだけ遅れているのか、何か問題があるのか(ホットカイロがまずかったか?)分かりませんが、何でも1度で片付かないのが実にイタリア的。でもまあ、これで服は届いたので、洗濯したシャツが乾くまでパジャマを着ている、なんてことはしなくて済みます。

  教訓:イタリアに荷物を送るのはやめましょう。

 


はじめての国立プラート古文書館(仮訳)。

(2014-01-18)
2014年1月13日、月曜日。


初めて国立プラート古文書館(Archivio di Stato di Prato)へ入ってみました。写真はその入口です。でも、私たちが入った入口はこの右側のDatini展示館からでした。Datini展示館にはご高齢(レディーなのでここだけの秘密ですが82歳)のLさんが案内役と受付をされていています。いつも、天井が高く、広く、寒~い部屋の奥に置いた机の後ろに立っていらっしゃいます。実は机の下に小さなヒーターがあって、立っている方が暖かいようなのです。今日は古文書館に行ってみたいと言うと、頼む前に電話を入れてくれ、そのドアの左の階段を上がるとそこから入れます、上に英語ができる女性がいるから行ってみなさいと言ってくれました。窓がなく壁に向かって階段をあがっていくと、ちょっと薄暗くなってきて、その正面にとても古い小さな黒っぽい木製の扉のようなものがありました。これを開けていいのかなと半信半疑であけてみると、広い部屋が現れました。天井には古い木の梁がむき出しに並び、そこに彩色がほどこされていて、いきなり中世にタイムスリップしたような感じです。どうもここではなさそうなので、人気のある方へと見回してみると入口があり、そこから足を踏み入れたところ、男性からそのノートに記入して下さいと言われました。署名欄の右側に職業欄があります。無職ではなにかまずいし、会計士でもないし、困ったなと思って迷っていると女性が現れ、ここで何をするのかと聞きます。Datiniの帳簿を読んで会計システムに入力しますと言うと、ちょっと考えて、それではstudenteにしましょうと言います。studenteなら学生とも研究者とも読めますので、これで行こうということで、それ以来私たちはこの古文書館ではstudenteとstudentessaになりました。

 記入が済むと、その女性(Cさん)はちょっとついて来て下さいと言います。これまた古い木の扉を開けて中に入ると信じられないところにいました。関係者以外絶対立入禁止のDatiniの全古文書を保管している部屋だったのです。天井の高い部屋の壁際の書棚、部屋の真ん中に二列に並んだ背丈より低い書棚にびっしりと古文書が納められています。壁際には帳簿が、低い書棚には手紙、通信文、帳票類、その他が納められているとのこと。1360年頃からの空気を吸ってきた書類がここにあるのです。バチカン博物館の一部に、ミケランジェロが描いた最後の審判の壁画や天井画で有名なシスティナ礼拝堂がありますが、そこに入ったときよりもっと大きな興奮が足元から湧き上がってきました。実は前から私たちのプロジェクトをはじめる前に、一度Datini帳簿を自分たちの目で一望の下に見ておきたいと思っていました。研究所のG教授、C女史にお願いしようと思っていたのですが、研究所と古文書館では組織が別なので、無理だろうと殆ど諦めていたのです。ところが、Lさんの電話一本で私たちの願いがたちどころに実現してしまいました。一昨年の秋に展示館を訪ねたときLさんにこれからG教授に会いに行くところですと言ったときも、確か研究所に電話を入れてくれ何かと事がスムースに運んだことがあったので、Lさんはすごい人なんだと思っていましたが、今度はLさんの電話での一言二言の威力にもっと驚きました。600冊の帳簿と言われても全然イメージが湧きませんが、目の前に並んだ姿を見ると、これは大変な作業になるということが、百聞は一見にしかずとはよく言ったもので、直ちに体感できます。感動して、「やっとDatiniのところに来た思いがする」と言ってみましたが、通じたかどうか。でも、Cさんはうんうんと頷いてくれましたので、何かが通じたと思います。

  保管庫から出て、先ほどの来館記入簿のある部屋に戻り、そこにあるパソコンの前に案内してくれました。私たちは作業量のおおよその目星をつけたいので、Datini帳簿のそれぞれのページ数はどうすれば知ることができますか?と尋ねてみました。すると、インターネットで古文書館にある帳簿や書類をある程度見ることはできますが(http://datini.archiviodistato.prato.it/www/archivio.html)、それぞれの帳簿のページ数やサイズまでは分かりません。でも、こちらのPCは古文書館のデータベースに繋がっていて、インターネットで見られない情報にアクセスできますと言いながら、ログインして、ここを見ればある程度分かりますと教えてくれました。cc.34とかcc.3-40Vなどという記号が読めます。このデータベースは一種の棚卸リスト、在庫表なのでページ数は使わず、紙(carta)の枚数を記載しています。cc.34は34枚の紙からなる帳簿であることを、またcc.3-40Vは3枚目の紙の表から、40枚目の紙の裏面まで、帳簿内容の記載があるという意味だということが分かりました。また、このデータベースには帳簿記載開始日と終了日のデータが入力されています。実はここまで理解することができず、これは何だあれは何だと質問したので、彼女は実物を見れば分かるということで、保管庫から画面に表示されていた帳簿を取り出してきてくれました。そして、ほら1枚目から2枚目には何も記載されていないでしょとか、これが記載終了日ですよ・・・あれ、データベースと違う!と気付くやいなや、彼女は最後のページを小声で発音しながらスラスラ読み始めました。おっ、すごーい!14世紀の手書きの癖のあるしかも略号が混じった古文書をすらすら読んでいる人が目の前にいる。この日、2度目の驚きです。結局、そのページの最後の方に日付の記載がありデータベースは正しいということになり、彼女は納得しました。私たちも早くこの人のように手書きの古文書をスラスラ読めるようになりたいと心底思いましたが、不思議とその能力を既に具えた人を目の当たりにすると、自分たちもできるようになるのではないかという希望が湧いてくるんですね。少しだけでしたが、データを自分の持参したPCに入力し、Arrivederci(では、また)!と言ってその日は帰りました。

  警察署に行ったときとは違う快い疲労感。よくテレビなどで「感激」、「感動」、「驚き」という言葉が頻発され安っぽくなってしまったので普段は使わないでいた言葉を、今日は10年分くらい使ってしまいました。まぁ、今日だけは許して下さい。


季節の替わり目のバーゲンセール

(2014-01-14)
 新年になると一斉にセールがはじまり、土曜日や平日の夕方は街が賑わっています。なぜか、季節とは関係なさそうな店にもセールの張り紙が踊っています。着たきりスズメの私たちとしては心惹かれる光景なのですが、もう少し待てば日本から送った荷物が届くのではないかと思うと・・・

 というのも、先週、ポストイタリアーナ(イタリアの郵便局)から書留が届き、税関申告書類に不備があるので、荷物の明細とそれぞれの見積価格を送るように、と言ってきました。これで少なくとも荷物がミラノかどこかイタリア国内にあることだけはわかりました。例により、銀行のLさんに書類をチェックしてもらいに行きました。「グフフ・・・、また来たわね」といった感じの笑顔で迎えてくれた彼女は、「郵便で返送すると、相手に届くかどうかわからないから」と、なんと、銀行からFaxを流してくれ、先方に届いたことを確認してくれました。「これで何も言ってこなければ、今度は電話して聞いてあげますよ」とまでいってくれました。いつもながら、銀行業務と関係ないことばかり持ち込んですみません。それにしてもイタリア郵便は、イタリア人にも信用がないんですね。しかも、郵送の場合の返送住所はミラノ、Fax番号はローマになっている(Lさん曰く)そうで、その辺もわけがわかりません。

 右の横長写真の黄色地に黒で「30%」の貼り紙があってその右側に何か写っているでしょう。そう、ここはコムーネ広場で写っているのは我がDatiniさんの像です。私たちと趣味が合うのか、SCONTO(値下げ割引)をじっと見ていますね。ついでにSaldiはSaldoの複数形、もともとは「売れ残り」、ここでは「バーゲンセール」とか「特売」という意味らしい。これは会計用語として使われるときは「残高」となります。黄色の30%割引の黄色地の上に「United Colors Of Benetton」という白い文字が見えます。こちら側のお店はベネトンで割引率が随分強気ですね。さすが、ベネトンというべきか。そのお隣さんのお店は最高70%割引なんてかいてあります。そして、今度はこの左側の写真の女性。横たわって首をしっかりもたげ、悠然と道行く人に目を向けています。絶対安売りしそうもない感じなのにその上にSALDI 50%マークがついていて、なかなか素敵なアンバランス。今日はバーゲンセールの話題で終わってしまいました。そろそろDATINIの話に入らなくては。


滞在許可書は今回も受取れませんでした

(2014-01-10)
 1月8日、12時8分と10分が警察署から指定された召喚日時です。もしかしたら、今日、滞在許可証をもらえるかもしれない、と少々緊張して出かけました。バスで警察署まで行くリハーサルはすでに終えていたので、行きはスイスイでした。まさか日時まで指定して召喚しておいて外で行列はさせまい、と思っていたら甘かった。30分外で待たせてから中に入れて、それから遅々として進まない列に並ぶこと1時間半、結局やったことは、送った申請書と本人を照合するだけ。「招請状、明日の朝8時、8号室にintegrazione(イタリア同化のためのオリエンテーション出席同意書にサインすることらしい)とsegnalamento(指紋採取)とがあるからお出で請う」と書いた紙をもらい、じゃ、明日で終わりかな、とかすかな希望を持って帰路につきました。
 
 次の日まだ薄暗い7時半、家を出てから、8時前に着くと、警察署前はすでに大勢の人が並んでいました。いつもながら8割は中国人、あとはほとんどインド系、アラブ系、アフリカ系、ロシア系、東欧系の人々で、日本人を見ることはありません。多くは家族で、赤ちゃんや小さい子供たちをつれています。プラートはヨーロッパで2番目に中国人が多い都市だ、というのもここに来ると納得します。
 今日はすぐ中に入れる、とはもう思いませんでしたが、驚いたことに、30分待った後で整理券のような番号を書いた紙を渡され、12時に来なさい、というのです。いくらなんでも招請状に朝8時と書いておきながらこれは何だと、その紙を見せて抗議しても無駄でした。でも全然迫力なかったけどね。悔し紛れに「Non ci posso credere!」(信じられない!)とは言いましたが。こんなところで4時間近くも待つのはごめんなので出直すことにしました。

 今度は直接中に入っていい、と言質をとってありましたので、半地階の指紋採取室に行くと、またまた人の列。整理番号もなにもあったものではありません。それが分かったのも暫くしてからで、整理番号で呼び入れるのでなく、名前で呼んでいたのです。どうも様子がおかしいので、上の半一階8号室にいって聞いてみると、まずこちらの部屋で受け付けるから、呼ぶまで部屋の外で待ちなさいと言われました。それで待つこと15分。呼ばれて入ると、その部屋には12月13日に「今からCommune di Prato Servizio Immigrazioneに電話し、メモを書くからすぐにそこへ行きなさい」と言ってくれた女性もいました。何やら入力していましたがやってくれたことはintegrazioneをプリントアウトしそこにサインすることだけでした。これが終わると一枚の紙にハンコウとサインをしてくれます。実はこれがないとsegnalamentoのプロセスに入ってくれないのです。

 先ほどの指紋採取の順番の話に戻りますが、おそらく私たちが着く前からすでに並んでいて、あるタイミングで招請状とintegrazione手続終了書を集め、その宛名で呼んでいたのでしょう。要するに、これらの書類の受取順だったのではないかと思います。さて、ここでは1台のデジタル指紋採取機で両手の指全部、手のひら全体をきれいにとれるまで繰り返すので1人10分近くかかります。私は指先が荒れているので、写りが悪く何度もやり直しになりました。"consumato"(すり減ってる?失礼ね!)などと言われながら結局待ち時間を入れて約2時間半を費やしました。
 その後また半一階の8号室に戻り、integrazione(オリエンテーション)出席同意書の本人控えを受取り、2月13日には必ず出席するよう念をおされました。ここで一番知りたかったこと、滞在許可証は一体いつでるんでしょう?と聞くと、「まあ、だいたい1ヵ月後でしょう、そのうち電話がいきますよ」ということ。イタリア語会話ができないから聞かなかったけど、1ヵ月後とは今日から?それとも2月13日のオリエンテーションの後?多分、オリエンテーションの後。そうすると、3月半ば。入国後3ヵ月半は不法滞在者のようなものだけど、こういうところは気にしないのね。これで申請のための手続はオリエンテーション以外すべて終わった、と思いたいけれど・・・

 疲労困憊した2日間でした。バスの乗り方だけは上手になったことが収穫かな。ダティーニ研究所のC女史に経過報告のメールを送ると、「官僚相手の形式的なことをすべて済ませてから、研究の進め方について相談に乗りましょう。心配しないでいいですよ。」と返事をもらいました。ちょっと休んで、来週から研究所に通うことにしましょう。


暮からお正月

(2014-01-03)
プラート市の東の丘陵地帯[写真左側、低く見える山の向こうにボローニャがある筈]

明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。

 大掃除もおせち作りもなかったので、お正月の実感今ひとつない新年を迎えました。
一日の昼食後、穏やかな日差しの中を散歩に出かけましたが、店はすべて閉まっていてあまり人出はなく、日本と同じく静かなお正月でした。

 暮も押し詰まってから、電気会社から請求書が1通、契約書が1通届きました。請求書の支払期限は1月2日となっていて、電気が止められてしまっては大変、と、すぐに銀行に支払いに行きました。銀行でなくてもスーパーなどで支払いはできるのですが、書き入れて返送しなければならない契約書を銀行のLさんに見てもらうのが主目的です。私たちが読んでいたら1週間はかかりそうな書類に彼女はこともなげに(あたりまえか)すらすら必要事項を書き込んでいきます。何しろ、銀行は私たちのデータをすべておさえていますから。私たち用にコピーまでとってくれ、ポストに入れるばかりにしてくれました。請求書を支払うと、2.25ユーロの手数料がかかりました。日本の感覚からすると、あらら?と思うのですが、ここまでやってもらったら銀行のこの振替手数料は安いものです。”Buon Anno!”(良いお年を!)と挨拶を交わし、ポストの差し入れ口は、市内向けとその他に別れているから気をつけて、とのアドバイスをもらい、郵便局に投函しに行きました。

 夫の門歯の隣の歯の裏側が1立方ミリほど欠けたのは22日のこと、会計士のSさんに、歯医者を紹介してもらえないかとメールで頼んだところ、親しい友人に歯科医がいる、と、すぐ電話番号を教えてくれました。ラッキー!と思ったのもつかの間、自分で電話してねと書いてあったのです。これは困った。今、相手の表情が見えない電話で知らない人と話すことほどごめんこうむりたいことはことは、実はそれほどないのです。・・・と、電話で話す勇気が出ないまま、うじうじと4,5日を過ごし、やっとアポイントをとるための原稿を用意して電話してみると、この先生はクリスマス休暇に入っていました。これでは治療がお正月明けになってしまう。そこで、前の週の月曜市に行ったときにたまたま見かけた歯医者さんに入ってみることに。幸い診療していて、オフィスは広々として清潔そう、受付の女性も感じが良かったので翌診療日にアポイントをとりました。30代と思しき女性が先生で、夫が後生大事に懐にしていた1ミリの欠けた歯をみせると、あっさりと「捨てちゃいなさい」と言われ、がっくり。でも12月30日の治療は日本とさして変わらず、丁寧にやってくれたようです。歯科は海外旅行保険がきかないので、治療代がいくらになるか戦々恐々としていたところ、日本の保険外診療より安いくらいの90ユーロで、しかもカードで払えました。

 大晦日は街中でいろいろな催しがある、と聞いていたので、夕食後、できる限りの厚着をして出かけました。街角で中学生くらいの子供たちが集まって爆竹を鳴らし、ドゥオモ広場には大掛かりなステージが設置されて若いロックバンドが練習をしています。広場の隅には仮設トイレがずらりと並んで、大勢の人出を予想している感じでしたが、まだ時間が早すぎるのか、一向に人が増えません。早寝早起きが長年の習慣となっている私たちは待ちきれずに帰ってきてしまいました。夜中、大音響で目が覚めると丁度12時。カウントダウンとともに花火の打ち上げが始まったようです。窓から覗くと花火は見えませんでしたが、空が真っ赤に染まっていました。目黒、祐天寺の除夜の鐘とその前から始まる和太鼓。30分間ひっきりなしに打ち上げ続けられるPratoの花火。長年の習慣で、どちらも同じように半分まどろみながら聞いていました。

続きを読む



プロフィール

SCIUICIdiFDATINI

Author:SCIUICIdiFDATINI
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR