FC2ブログ

フィオリーニ金貨の誕生と帳簿

(2016-05-25)
(写真はエミリア・ロマーニャ州ボローニャの東70-80kmのところにあるラベンナのサン・ヴィターレ聖堂内部のモザイク。4月26日撮影。本文とは無関係)

 5月25日

 中世ヨーロッパの貨幣は、フランス国王シャルル・マーニュがその広大な支配圏において、重量単位1リッブラの銀を貨幣単位1リラと定めたことに由来をもつと言われます。1リッブラの重量は地域によって312グラムから405グラムまでの幅があり、例えばフィレンツェでは、1リッブラ=339.542グラムでしたから、ここでは1リラの貨幣は339.542グラムの銀と等価だったということになります。したがって、貨幣1リラの価値もまた、地域によって異なっていました。しかし、1リッブラの銀は1リラの貨幣価値に相当するという原則は、一定範囲のなかで価値の見当をつける手がかりを与えてくれますから、シャルル・マーニュは経済活動を円滑にするインフラのひとつを提供したことになるでしょう。そして、リラという名前の普遍化ももたらしました。

 さて、この300グラム以上もある1リラ銀貨は実際に作られたのでしょうか?実際には貨幣として鋳造するには重すぎたので、頭の中だけの通貨という役割に留まりました。しかし、経済取引に通貨は不可欠ですから、何らかの貨幣が鋳造されます。まずはデナーロ銅貨。ロンバルディア州パヴィア(ミラノの南の街)で鋳造されたデナーロ銅貨はその利用がコムーネの境界を越えて北、西、東、そして南に広まり、ジェノバでも流通したとのことです。他にフランスの、経済活動が活発だったシャンパーニュ地方のプロバンス、ツール、そしてパリの銅貨も活躍しました。この、銅貨だけが鋳造されていた時代は長く続きましたが、もっと大きな価値をもつ通貨への需要が高まり、1200年頃にグロス(grosso:大きい)銀貨が鋳造されます。フィレンツェ、ヴェネツィアでは1ソルド銀貨、2ソルド銀貨などが作られました。1182年にフィレンツェで作られたグロッソ銀貨=1ソルド銀貨は1.5845グラムでした。あれ、20ソルドで1リラだから、340グラムの20分の1の17グラムでなくていいの?という疑問が生じますが、すでにあらゆる地方で、重量単位のリッブラと貨幣単位のリラの乖離は激しく進んでいたのです。デナーロの質的劣化もこの乖離を助長しています。

 このより大きな価値をもつ通貨への動きは次への飛躍を準備します。それは20ソルディの銀貨を鋳造するのではなく、20ソルディ相当の金貨を鋳造するという道に進むことによってでした。1252年にフィレンツェで金貨が鋳造されたとき、金1に対する銀の交換比率は8.96でした。すると、20ソルディの銀貨は、1ソルド銀貨1.5845グラムの20倍の銀31.69グラムの銀を含むべきです。これを金に換算すると、31.69÷8.96=3.5368グラム。実際、このようにして、金重量が決定され、3.5368グラム のフィオリーニ金貨が誕生しました。これが古代ローマ帝国が崩壊した後、西ヨーロッパで最初に作られた金貨になりました。このフィオリーニ金貨は、シャンパーニュ市場、フランダース、イギリス、フランス・ラングドック地方、カタロニア、ヴェネチアなどの殆ど全西ヨーロッパに受け入れられ、「中世の米ドル」と呼ばれるほどの地位を獲得しました。

 このプロセスで目を引く点は、当時の世界で貨幣は国家、王などの外的権威ではなく、自らディ・ファクト・スタンダードの地位を獲得する道を歩んだというところにあるように思います。最初は安く作れて失敗しても犠牲の少ない銅貨からはじめ、その銅貨が信用を得るにしたがって、次はソルディのグロッソ銀貨に進み、そしてさらに、より軽くて価値があり、より大きな金額の取引に対応可能な金貨に到達する。ディ・ファクト・スタンダードの地位を得たからこそ、政治的境界を跨ぎ越し、一気に当時の交易世界に流通する。その動きの背景には経済活動の活発化による貨幣需要の高まりがあったはずですし、それが金貨を生み出し、この金貨の創造が今度は逆に1300年代から1500年代のイタリア・ルネッサンスを支える経済活動の重要な小道具=基盤を準備していたとも言えます。大きな貨幣、つまり、1リッブラの銀貨をまず作り、そこからその240分の1の銀でデナーロを作るという方向は実際にはとられることはなかった。そして、シャルルマーニュの銀重量と銀貨幣価値のペグもどこかへ押し流されてしまっています。商人の実践的知恵が躍如としていますね。

 さて、このフィオリーニ金貨がどのように私達のDatini帳簿入力作業に関わってくるのかですが。。。

 その後、金と銀の交換比率がどんどん変動し、金の価値が高まっていきます。1271年には既に1フィオリーニ金貨の価値は20ソルディでなく、29ソルディになっていて、1302年には32ソルディ、1383年には69ソルディ、1400年には80ソルディと当初の4倍にまで価値の乖離が広がってしまいました。これに伴って、帳簿の記帳も変わらなければいけませんが、それが単純でなく、Datiniの帳簿(今読んでいるのは1395年から1400年)では、基本的に3種類の貨幣体系が混在する形になっているのです。一昨年にはフィオリーニ、リラ、ソルディ、デナーロという貨幣単位が使われていて、フィオリーニ金貨とリラ、ソルディ、デナーロの間で価値が変動し、為替差損益が生じうるということをこのブログに書きました。でも、これは今思えばpiccioliという貨幣体系についてだけ妥当する話でした。そのことさえ当時の私は分かっていなかったのです。実際には、これらの4種の貨幣単位それぞれにa fiorini、a oro、piccioliという3つの貨幣体系があるのです。

 1リラ=20ソルディ、 1ソルディ=12デナーロという関係は3つの体系で一貫しています。ところが、フィオリーニ金貨と他の3つの貨幣(リラ、ソルディ、デナーロ)との関係は3つの体系でそれぞれ違います。a oroでは1フィオリーニ=1リラ=20ソルディです。ところが、a fiorini(以後、aff.と書きます)では、1フィオリーニ=29ソルディというこれも一定した関係があります。ところが、piccioliでは1フィオリーニ=76ソルディ6デナーリだったり、1フィオリーニ=77ソルディだったりと、金と銀の相対的価値の変動を反映して変わります。殆どの取引はリラ、ソルディ、デナーロ で納まるような金額ですからpiccioliで記帳されています。しかし、a oroやaff.で記帳されている仕訳も混じっています。そうすると、piccioliでの金額と、a oroやaff.の金額をそのまま足したり引いたりすることはできません。たとえば、10ソルディ aff.は10ソルディ piccioliではありません。10ソルディ aff.は1フィオリーニ=77ソルディの換算レートのもとでは、10×77/29=26ソルディ6デナーリ piccioli.の価値を持ちます。まるで、円での仕訳とドルでの仕訳をそのまま足したり引いたりすれば、計算結果が滅茶苦茶になってしまうのと同じことです。なぜ、ひとつの体系で一貫してくれないのか、と怒っても仕方ありません。aff, a oroで記帳してきた習慣は簡単には変えられなかったのでしょう。これが会計をとっても複雑にしていて、気が狂いそうになります。そこで、考えました。電卓のプログラムを作ったのです(上の画像)。いろいろな状況に対処するのが意外と難しかったのですが、昨日やっと、実用に耐えるようになりましたが、その話はまたの機会に。
スポンサーサイト


プロフィール

SCIUICIdiFDATINI

Author:SCIUICIdiFDATINI
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR