FC2ブログ

Cavalciotto a Santa Lucia分水施設の見学散歩

(2018-04-22)
4月21日(土)、
友達のMarioに誘われ、Pratoの街の北側に位置するCavalciotto(分水施設)を見学に行きました。ビセンツィオ川から水を引き込み、人の手によって掘られた総延長50kmのgora(堰)をゆるやかに流下させ、堰沿いに設置されたmulino(水車)の動力として、また灌漑用水として利用され、Pratoにとってなくてはならないものになりました。 48ヶ所のmulinoは蒸気機関が発明されるより600年も前の時代には貴重なエネルギー源だったことでしょう。この日はCavalciottoと用水の見学会をPratoの保存会の方たちが開催し、60名位の老若男女と子供たちが集まり、大変盛況でした。Pratoには週末のひとときを家族でこんなふうに過ごすカルチャーがあります。

1.Santa Luciaの位置

サンタルチア教会はPratoのチェントロから約5km北へ行ったところにあり、その周辺の地域がサンタルチアと呼ばれます。地図(上が北)右上から左下方向にビセンツィオ川が流れ、赤丸で囲んだ流れのくびれたように見えるあたりにCavalciotto分水施設があります。

2.Gora(堰)とmulinoのはたらき

ゴーラはCavalciottoの南西方向に広がる標高差50mの殆ど平らな土地を何本かの用水に分かれながらゆっくりとうるおし、一部Pratoの旧市街も通過しながら南下して、Pratoの南ombrone川に合流します(この川とBisenzio川はFirenzeから流れてくるArno川に合流してPisaでTirenia海に注ぎます)。mulinoは穀物を挽くための石臼を回転させるために役立ちことはもちろんですが、Pratoではとりわけ12世紀初めからgualchiera(毛織物製造の重要な工程のひとつである縮絨)のために使われました。gualchieraはwalkと関係があるようで、羊毛を織った後、密度の濃い織物にするため、はじめ足で踏んで目を詰める作業をしていたところ、mulinoの動力を利用して織物をぐっと踏みしめるような動きをさせる機械を生み出しました。これにより生産性があがり、13世紀にはPrato産の毛織物は高い評価を得る元となり、当時人口がはるかに大きかったFirenzeもPratoのこの産業を頼りにしていたほどです。しかし、当時の経済圏は今で言えば地産地消の範囲内に納まるもので、この限界を打ち破りPratoの羊毛産業がさらなる飛躍をするためには西欧・北アフリカ・地中海圏すべてを視野に収め、かつ、資金力を持った商人の登場を待たなければなりませんでした。

1383年、Datiniは15歳から47歳まで過ごしたAvignoneから生まれ故郷のPratoに戻ります(ちなみに法王がAvignone捕囚からローマに戻ったのは1377年、シスマ(教会の大分裂)は1378年、そこから5年後の帰郷)。Datiniはそのような条件をこの上なく満たしていた商人で、彼の帰還後、Pratoはその技術的優位を発揮し、その販路を世界中(当時の主要な経済圏)に広げることになります。Datiniがどのような経過を経てPratoの羊毛産業に資金投下するまでの判断を下したかについてはいずれ書きたいと思いますが、まだ、私的に準備不十分。・・・という歴史の流れのなかで、その生産基盤を提供したCavalciotto、Gora、そしてmulinoの三点セットはPratoにとっていかに大切なものであったかが分かるような気がします。


左の写真は上流からの流れを受け止める壁。たびたび洪水を引き起こしたビセンツィオ川をどう制御するかについては、1630年ガリレオ・ガリレイも求められて現地視察をし意見を述べ、1631年に書かれた書簡も残っているそうです。

Cavalciottoの全景が分かるドローンの空撮動画がありました。
こちらをクリックしてご覧ください。


スポンサーサイト


コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

SCIUICIdiFDATINI

Author:SCIUICIdiFDATINI
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR